センターコートとナンバー1コートは100%の観客を入れるなど、コロナ禍以前の賑わいが戻りつつある、ウィンブルドンの大会7日目。
ナンバー3コートに組まれた女子ダブルスの準々決勝、青山修子/柴原瑛菜vsハラデツカ/ボウズコバの一戦にも、客席から拍手と声援が選手たちに送られていた。
その中でひときわ、大きな声で日本人ペアを応援する、イギリス人ご夫婦と思われる方たちの姿があった。
試合は、第1セットを日本人ペアが取り、第2セットに入ると一進一退の攻防となる。
終盤に向け白熱する展開に同調し、ご夫婦の応援も一層の熱を帯びた。
その声が力になったか、日本ペアは6度目のマッチポイントで勝利をつかむ。
熱戦をものにして4強進出を決めた青山・柴原ペア(動画奥)。降雨もあり人がまばらになった観客席に、熱狂的に応援する英国人夫妻の姿があった
最後は、「チャンスを逃しても落ち込まず、どんどんやっていこうと思っていた」という柴原の、会心のボレーが熱戦に終止符を打った。
試合後にスタジアムの外に出ると、件のご夫婦と遭遇した。
「日本人ペアを応援していましたよね?」
そう声を掛けると、「ええ。特にエナ(柴原)を応援していたの!」と、ご婦人の明るい笑みが返ってくる。
「2年前にエナがヨークシャーの大会に出た時、彼女は私たちの家に滞在していたの。それから、ずっと彼女の動向は追っていた。今回ウィンブルドンに出るというから、電車に飛び乗って来たのよ!」
海外の下部大会では、地元の方が選手をホームステイ先として受け入れることも珍しくない。
このご夫婦も、そのように選手をサポートしたご家族だった。
あの時は、まだランキングも低かったのにね……と、ご主人も目を細めて回想する。
今は引っ越し、ロンドンから90㎞ほど離れたハンプシャーに住んでいるというマストン夫妻。
そのお二人に「準決勝も来ますか?」と尋ねると、「もちろんよ。決勝だって来るわよ!」と、一層明るい声が返ってきた。
マストン家に滞在し、ヨークシャーの下部大会に出ていた当時の柴原は、ダブルスランキング200位台のプロ1年生。
それから、2年。
“イギリスのご両親”とも言うべき人々の声援も背に、第5シードの柴原たちは、“テニスの聖地”で頂点を目指す。
柴原瑛菜(しばはら・えな)
1998年2月12日米国カリフォルニア州生まれ。二人の兄と共にテニスを始め、8歳の頃にはUSTA(USテニス協会)の支援を受けるまでに頭角を現す。2016年全米Jr.ダブルス優勝。2019年夏より日本国籍の下でツアーを転戦。
青山修子(あおやま・しゅうこ)
1987年12月19日、東京都町田市生まれ。早稲田大学卒業後にプロ転向。主にダブルスで活躍し、2013年ウインブルドンベスト4、ツアー優勝は9回を誇る。
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