「選手のための“ホーム”を作りたいんです」
“Ai Love All Tennis Academy”を立ち上げた時、中村藍子(写真一番左)はそう明言した。
自身が世界中を転戦していた現役時代、中村が痛感してきたのは「帰れる場所の重要性」。
各々が個人事業主のプロテニス選手は、基本的に練習場所を自分で確保しなくてはいけない。
特定の拠点がなく、その時々でコートを渡り歩く選手が居るのも現状だ。
ただそれでは、身も心も疲弊する。そんな自身の経験にも根差し、中村は兵庫県の香枦園テニスクラブ内に、伴侶でコーチの古賀公仁男と共にアカデミーを立ち上げた。
昨年2月のことである。
中村がアカデミーを立ち上げた時、最初に声を掛けた“一期生”が、現在19歳の今村咲(写真中央)だ。
手前が今村。奥がコーチの中村。二人とも両サイド両手打ちの似たスタイル
当時の今村は香港を拠点としてたが、環境にうまく適応できずにいたという。
そんな折に届いた「尊敬する」中村からの誘いの声は、天啓のように響いただろう。
直ぐに帰国した今村は、アカデミーのそばに部屋を借り、ひとり暮らしを始める。
以降、コロナ禍の困難に直面しながらも、トレーニングと練習に打ち込み開花の時に備えてきた。
その成果が出はじめたのが、今年の初夏。6月のITF15,000$大会では、単複準優勝を果たした。
徹底して指導されてきた「相手の立場になって考え、戦略を立てること」が、徐々に出来るようになったのが大きいとは本人評。
フットワークも確実に良くなった。
トレーナーの指導のもとフットワーク向上に励む今村
ただ調子が上がっていた最中に、試合中に膝を陥没骨折。約3か月間のリハビリとトレーニングを経て、この12月から再び海外へと旅立つ。
久々の遠征に挑む今、今村は「試合が楽しみ!」と顔を輝かせた。
遠征が続いた頃は寂しさも募ったが、ケガでコートから離れた時、テニスがしたいと痛いほど願ったという。
かつては「勝つとホッとしたが、嬉しいとは感じなかった」という彼女が、今年は「すっごく嬉しくて、直ぐにコーチに報告したい」と感じるようになっていた。
昨年の春——取る物も取り敢えずアカデミーに飛び込んだ決断を、今村は「100%良かった」と断言する。
「藍子さんも古賀さんも寄り添ってくれる。香枦園は、わたしのホームコートです」
期せずして、今村の口から笑みと共にこぼれた「ホーム」の言葉。
それは、中村の理念が実を結んだ、何よりの証拠だった。
中村藍子(なかむら・あいこ)
1983年生まれ、大阪市出身。WTA最高ランキング47位。約10年ツアーを転戦した後、2012年にケガもあり引退。伴侶でテニスコーチの古賀公仁男とともに、昨年2月から兵庫県でアカデミーをスタート。
今村咲(いまむら・さき)
2002年生まれ、京都府出身。左右とも両手から放つパワフルかつスケールの大きなテニスで、今年6月のITF15,000$大会(チュニジア)で単複準優勝。10歳の頃にイベントで中村に会って以来、尊敬しプレーもお手本にしていた。
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