2月25日、練習場で真っ先に探したのは、青山敏弘の姿だ。
いた。いてくれた。ほっとした。
23日、彼は膝に違和感を感じて練習を切り上げ、クラブハウスへと戻った。
2月23日のトレーニング中に足の違和感を覚えた青山(左)は野村博幸トレーナー(右)と共に感触を確かめていた。この後、彼は練習再開を見送り、クラブハウスへと引き上げる
その時の表情は冷静。池田誠剛フィジカルコーチも「大丈夫」と平静。
筆者は「大きな心配はない」と自分に言い聞かせた。大事をとっただけだ、と。
それでも、不安は彼の元気なプレーを見るまでは消えなかった。24日は取材に行けない。もどかしさは膨らんでいた。
だからこそ、25日に再会した青山の笑顔と「ちょっと寒すぎたことが影響しましたね。でも神様が守ってくれたと感謝して、今日もグラウンドに立ちました」という言葉が、心を鎮めてくれた。
思えば彼のサッカー人生は負傷の連続。
前十字靱帯断裂、膝の半月板損傷、中足骨骨折、腰痛。
何度も何度も、手術を重ね、長期離脱の連続。2019年のアジアカップでも右膝を負傷し、歩くこともままならなかった。
だが、彼はケガの後は必ず成長し、結果も出す。「ドラゴンボール」の孫悟空のように、ボロボロになった後に戦闘力を増してくる。
茶島雄介(25番)のパスを受けた青山(6番)はジュニオール・サントス(37番)にボールを預けて前に走り、サントスからのパスを受けてスルーパス。ジュニオール・サントスのシュートはポストに当たったが、2人の関係性で決定機を創った(2月14日撮影)
指宿キャンプ最後の練習試合・山形戦ではジュニオール・サントスとの細かなパス交換からのスルーパスで決定機を創出。浅野雄也に贈ったボレーからのスルーパスも圧巻。
青山(6番)のパスをジュニオール・サントス(37番)が落とし、青山が胸トラップから浅野にパス。決定的なシュートは外れてしまったが、実にダイナミックに崩した
決定機を創出する確率は、ここ最近では最高レベルに映る。城福監督も「コンディションは非常にいい」と期待を寄せる青山に、こんな言葉をかけた。
「自分に期待している?」
ニコリともせず、レジェンドは語った。
「期待しているけれど、全ては結果だから」
18年目の開幕。青山敏弘は静かに、その時を待つ。
青山敏弘(あおやま・としひろ)
1986年2月22日生まれ。岡山県出身。2004年から広島一筋でプレーし、3度の優勝に貢献。2015年にはMVPに輝いた他、ベストイレブンも3度受賞。他にもJリーグ最優秀ゴール(2015年)やチャンピオンシップMVP(2015年)など数々の表彰を受ける。今年から本格的に稼働しているインスタグラムも好評。
【中野和也の「熱闘サンフレッチェ日誌」】