林卓人は声でも、スタジアムを沸かせる。
「切り替えろっ」
叫びが響いたのは3日の鳥栖戦のこと。J1通算300試合出場の偉業を達成したメモリアルマッチの前半33分、チームが少し集中を欠いた時間帯だった。その瞬間、スタジアムの空気がピリッと引き締まり、スタンドからは林を讃える大拍手が起きたのだ。
厳しい内容のGK練習。先頭に立つのはいつも、林卓人だ
背番号1を背負った選手が全て日本代表というJ屈指のGK王国・広島の伝統を受け継ぐ林は、高校時代まで全くの無名。だが彼には、抜きんでた才能があった。
猛練習を続けること。努力を惜しまないこと。誰もができそうで、実はできない。しかし、彼にはできた。
加入した時から、彼の練習量は圧巻そのもの。シャツだけでなく顔も常に泥と汗にまみれ、引きあげる時は肩で息をしていた。
当時レギュラーだった下田崇(現日本代表GKコーチ)のトレーニングをずっと見つめ、盗めるものは全て盗もうと集中した。
「昨日の自分に負けたくない」。ロベルト・バッジオの言葉を胸に刻み、プロ入りから20年、その姿勢を見失ったことはない。
PKを止めても自分を誇ることなく、失点は全て「自分に責任がある」と言う。努力と謙虚さが両立する人間性こそ、J2と合わせ483試合出場(3日現在)という偉業達成の要因だ。
練習後の入念なストレッチも林の日課。実はこの時、彼の視線の先には若かりし自分のように猛練習に挑む大迫敬介の姿があった
鳥栖戦後、林の背中を追う大迫敬介は、1人で練習を続けていた。後片付けが進むスタジアムでずっと、ずっと。
GK王国・広島はこうやって、受け継がれていく。
林卓人(はやし・たくと)
1982年8月9日生まれ。大阪府出身。2001年、大阪金光高から広島に加入。2004年アテネ五輪最終予選では正GKとして活躍したものの、本大会では腰痛の影響もありバックアップメンバーに。札幌・仙台で活躍した後、2014年に広島復帰。オファーが届いた時、林の広島への愛着を知る愛妻は思わず、涙をこぼしたという。
【中野和也の「熱闘サンフレッチェ日誌」】