ザッ、ザッ、ザッ。
雨に濡れた芝生を噛むスパイクの音が響く。
「いいよ、アオ。もっと、よくなる」
池田誠剛コーチの呼びかけに、青山敏弘はうなづく。
今季は通常メニューもフルでこなし、その上で居残りもできるほどに状態は回復している
9月11日、広島広域公園補助競技場。ステップワークからストレッチ、青山の居残り練習は30分以上も続いた。
猛練習は18歳の時からのルーティン。ただ昨年1月時点で、そのルーティンに戻れる日が来るとは、誰も考えられなかった。
2019年1月17日、アジアカップの日本対ウズベキスタン戦で右膝の軟骨を負傷。現地のドクターは画像を見て「ダメだね」と一言。「わかってるよ」と青山が思う程、酷い状況が画像に映っていた。
歩くので精一杯という彼を見て誰もが思った「引退」の文字。「選手としてもう無理なんだな」。青山自身、絶望の淵にいた。
ところが亀尾徹メディカルアドバイザーは「治る」。そこから、クラブの総力をあげた青山復活プロジェクトが始まった。
リハビリは簡単ではなかった。痛みは再発し、何度も本体練習から離脱を繰り返す。気持ちは沈み、円陣を組む時も自然と後ろに下がる。
そんな時、練習場であるサポーターが声をかけた。
「どんな時でも1番前にいるのがアオチャンじゃないの?」
奮い立った。「俺に任せろ」という池田コーチの言葉が気持ちを加速させた。
昨年8月3日、札幌戦で復帰。9月14日、横浜FM戦で先発に戻る。そして今季、誰もが認めるレギュラーとして開幕から主力として活躍。猛練習のルーティンも戻った。
「奇跡」。間近でずっと見ていた城福浩監督も池田コーチも感嘆する復活劇。
「恩返ししたいから、結果を出す」
背番号6の決意は揺るがない。
青山敏弘(あおやま・としひろ)
1986年2月22日生まれ。岡山県出身。フィギュアスケート銅メダリストの高橋大輔選手とは幼馴染み。2004年、サンフレッチェ広島に加入。フレンドリーなファンサービスはサポーターから「神」と称される。
【中野和也の「熱闘サンフレッチェ日誌」】