決勝の舞台には、あと一歩届かなかった。
東京五輪ボクシング男子フライ級の田中亮明が5日、カルロ・パアラム(フィリピン)との準決勝に臨み、0-5の判定で敗れた。
序盤からプレッシャーをかける田中だったが、相手のパアラムは打ち終わりにパンチを合わせてくる。強引に入ろうにも足を使われてしまいうまく攻めきれない。
途中採点でリードを許した田中は、さらにプレッシャーを強めて攻めにいく。しかし、最後までペースは握れずに終わった。
それでもなお、価値ある銅メダルだ。
フライ級でのメダル獲得は、実に1960年ローマ五輪で銅メダルを獲得した田辺清氏以来、61年ぶりとなる。
ここまでの勝ち上がり自体が、そもそも圧巻だった。
初戦の相手はリオ五輪フライ級銀メダリストのヨエル・フィノルリバス(ベネズエラ)、続く2回戦ではリオ五輪フライ級銅メダリストの胡建関(フ・ジャンガン、中国)。
そしてメダルをかけた準々決勝、ユベルヘンエルネイ・マルティネスリバス(コロンビア)もリオ五輪ライトフライ級で銀メダルを獲得した選手だった。
“最悪なくじ運”をはねのけたことこそが、亮明の実力を雄弁に語る。
「本番に強いことは自分が一番知っていた。僕はチャレンジャーなので、全員食ってやろうという気持ちで毎試合戦っている」
有言実行とはこのことだ。
3階級王者である弟の影響
亮明の覚醒は、3階級王者の弟・田中恒成の影響が大きい。
東京五輪が1年延期になったことで、弟の所属する畑中ジムで一緒にトレーニングを行った。
弟との練習を通してアドバイスを得ているほか、トレーナーでもある父親からの指導も加わり、スタイルが変わった。
以前の亮明はどちらかというとカウンタータイプのボクサーで、相手が来るところにパンチを合わすのが得意だった。
離れた距離ではめっぽう強いが、近い距離ではうまく攻めきれなかった。しかし、五輪では見違える戦いぶりでメダリストを撃破した。
「体力を気にしないで戦えるようになって、力強いパンチが打てるようになった。前に踏ん張って出れるようになった」
アマチュアボクシングの採点では、①質の高い打撃の数②競技を支配していること③積極性、の3つが重視される。
3分3ラウンドと短いため、より積極的な姿勢が評価される。弟と父との共闘で身に着けた「前へ出ていく強さ」が、メダルへとつながった。
筆者はかつて、亮明とスパーリングをしたことがあった。当時から距離が離れるとカウンターの怖さがあったが、近い距離だとあまり怖さは感じなかった。
五輪では、勇猛果敢なファイターに変わっていた。普段は高校のボクシング部の監督を務める本人は、きっと教え子たちに見せたい背中があったのだろう。
「銅」という漢字は、「金と同じ」と書く。亮明が東京に残した足跡は、いつまでも輝き続けるはずだ。
ここまで本当によく戦った。銅メダルでも胸を張って欲しい。
田中亮明(たなか・りょうめい)
岐阜県多治見市出身、27歳、男子フライ級(52kg以下)、中京高等学校教諭で、ボクシング部監督を務める。中京高(現中京学院大中京高)3年で国体優勝。全日本選手権では15、16、19年度に優勝。弟・田中恒成は世界3階級王者。
<弟・恒成の関連記事>
恒成が井岡との戦いで感じた階級の壁とは
恒成が挑む変革。「スピードを消します」
【木村悠「チャンピオンの視点」】