「初めてユニフォームを買ったのは、ジーコですね」
「地元が(鹿嶋と地理的に近い)群馬だったこともあって、家族で鹿島の試合を見に行きました。ただ、ジーコのプレー自体の記憶はないですね。当時はJリーグが開幕したばかりで、メディアにすごく取り上げられていたじゃないですか。その盛り上がりや熱気を覚えているくらいで」
「奥大介さん。ただ、当時小学生だったので、奥さんのプレーが凄いとか、プレーを真似していたというより、佇まいや容姿を含めてかっこいいなって。ポスターを貼っていた覚えがあります」
「なんと言っても頭がいいですよね。僕は体が大きくなかったし、 身体能力もそこまで伸びなかったんですけど、ヤットさん(遠藤保仁)を見ていて、頭を磨くことでも周りに差を付けられるんだなって。だから、ヤットさんがどういうプレー選択をしたらどういう現象が起こるのか、ガンバの試合や代表の試合映像を見ながらストックしておいて、自分で試してみるという感じでした」
「サポートの位置とか、ポジショニングの参考にしていました。こういうところに顔を出してあげるといいとか、 ボランチがこう持っているタイミングでサイドバックに『上がって来い』って伝えるといいとか。ヤットさんのプレーを見ていたおかげで、ゴールから逆算して考えられるようになりましたね。
「(友人で磐田所属の)山田大記や鈴木雄斗が『電話番号、交換すればいいじゃん。紹介するよ』って言ってくれたんですけど、それはいいかなって断りました」
「話したいとかじゃないんですよ。ヤットさんはアイドルというより、僕にとって勉強するための“最高のテキスト”だったので。それに実際に話すと、自分のイメージとのギャップを感じることもあるじゃないですか。僕は夢見る少年のままでいたいんです(笑)」
(取材・文/飯尾篤史)