犬飼智也、平野佑一、小泉佳穂、鈴木彩艶と続いたJリーグ30周年企画の「マイヒーロー」。5人目の登場となる大久保智明に子どもの頃に憧れたJリーガーを尋ねると……答えは一択だった。
「中村俊輔さんしかいない、って感じです。左利きの選手だったら全員が俊輔さんに憧れたんじゃないですかね」
中村俊輔が桐光学園高等学校から横浜マリノスに加入したのは1997年、イタリアのレッジーナに移籍したのが2002年夏だったから、98年生まれの大久保にその頃の記憶はない。
そのプレーを熱心に追いかけたのは、FIFAワールドカップドイツ2006や、05年〜09年のスコットランドのセルティック時代、10年のJリーグ復帰後のこと。だが、同じスパイクを履くほどフリークだから、リアルタイムで見ていない情報も把握している。
「日韓ワールドカップに落選したことも知っています。だから、初のワールドカップとなったドイツ大会のオーストラリア戦でクロスがそのままゴールに入ったときは嬉しかったし、あの大会では熱で体調を崩して本調子じゃなかったのも知っています。10年の南アフリカ大会の直前にベンチになったのはめちゃめちゃ悔しかったし、オランダ戦で途中出場したのも見ていました」
セルティック時代のUEFAチャンピオンズリーグのマンチェスター ユナイテッド戦で、第1節のアウェイゲーム、第5節のホームゲームと2試合続けて直接フリーキックを決めたときは興奮したし、横浜F・マリノスに復帰した直後の川崎フロンターレ戦で無回転のミドルシュートを叩き込んだのには震えた。
だが、大久保が記憶しているのは、眩いシーンの中村俊輔ばかりではない。
「13年のリーグ最終節で優勝を逃して、等々力(陸上競技場)のピッチで泣き崩れたシーンも頭に焼き付いています。あれだけ感情移入した選手は、他にいませんね」
東京ヴェルディの育成組織に在籍していた大久保は、片道1時間の電車の中で中村俊輔のプレー動画を何度も繰り返し見て、イメージを膨らませていたという。
「それこそレッズ戦で周くん(西川周作)から決めたフリーキックのシーン(15年8月29日)も繰り返し見て、軸足とか、蹴り足、抜き方を研究していました」
そんな憧れの選手と一度だけ、対戦した経験がある。それは公式戦ではなく、練習試合だった。
「埼スタのサブグラウンドで横浜FCと対戦したんですけど、俊輔さんが出ていて。『うめー!』ってついつい眺めちゃいましたね。さすがに話しかけることはできなかったです。フリーキックの極意とか、聞いてみたかったんですけどね」
これまでアドバイスをもらう機会はなかったが、記憶の中の中村俊輔は、いつも完璧なフリーキックを蹴っている。そのイメージを大切にしながら、大久保は大原サッカー場でボールを蹴り続けている。
俊輔仕込みのフリーキックを直接叩き込み、埼玉スタジアムを沸かせる日のために。
(取材・文/飯尾篤史)
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