浦和レッズニュースのJリーグ30周年企画としてスタートした「マイヒーロー」連載の第3回目。今回は小泉佳穂に昔、憧れたJリーガーを聞いた。
取材の趣旨を説明すると、黒縁眼鏡に手を当てながら、幼少期の記憶をたどり始めた。すると、いきなり意表を突く名前が出てきた。
「僕の中でヒーローといえば、オリバー カーンかな」
初めて見たワールドカップの2002年日韓大会の印象があまりに強く、つい口から出てしまったのだろう。すぐに本人も気付き、照れ笑い浮かべた。
「あっ、今回はJリーグの企画でしたね」
なぜ、闘将と呼ばれたドイツのゴールキーパーなのか――。取材する側としては大いに興味をそそられたものの、深掘りするのは別の機会にしたい。
一度仕切り直し、心を奪われたJリーガーを尋ねると、昔を懐かしみながら話してくれた。
時代は2000年代初頭までさかのぼる。小泉がサッカーにどっぷりとはまった小学校低学年の頃の話だ。日本代表の背番号10を付けた左利きのゲームメーカーは、他のどの選手よりも輝いて見えたという。
「僕らの世代(96年生まれ)でサッカーをしていれば、きっと7割近くの子どもが中村俊輔さんを好きだったと思います。セルティック時代にチャンピオンズリーグで活躍する姿も目に焼き付いていますし、横浜F・マリノスに戻って来てからもずっと見ていましたから。もちろん、日本代表での活躍もよく覚えていますよ」
最も印象深いのは、04年のAFCアジアカップ。グループリーグ初戦のオマーン戦で決めたゴールは、今でも脳裏に刻まれている。
ダブルタッチで相手をかわし、左足のアウトサイドでゴール右隅へ。さらに驚いたのは、それから数年後。小泉が中学生になり、中村俊輔の著書『夢をかなえるサッカーノート』を読んだときだ。
「オマーン戦のゴールは『以前からイメージしていた形だった』と知り、あらためてすごい衝撃を受けたんです」
Jリーグで記憶に残っているのは、13年8月17日のFC東京-横浜FM戦。後半44分、お手本のようなキックフェイントから2度切り返して相手DFを翻弄し、最後はミドルシュートを突き刺したのだ。今でもすぐ頭にシーンが浮かぶほど鮮烈なプレーだった。
華やかなプレーだけに憧れたわけではない。中村俊輔のプロにたどり着く過程は、小さな小泉に勇気を与えてくれた。
FC東京の下部組織でプレーしていた中学校時代は中村と同じように小柄な体格でユースには昇格できず、高校(前橋育英高校)に進んだ。
「体が小さかった僕にとって、中村俊輔さんは道標のひとつでした。勝手に自分の姿を重ねていたんです」
天才レフティに憧れてから20年近くが経過した日だ。21年3月10日、レッズの一員として横浜FCでプレーする当時42歳の中村俊輔と同じピッチでプレーしたときは感慨を覚えた。
「これまで対戦した選手の中では、一番うれしかったです」
巡り巡っての出会いである。いつの日か、小泉佳穂も自分に憧れた浦和の少年と競演できる日を楽しみにしていた。
「『マイヒーロー』が小泉という人は少しマニアックかもしれませんが、そういう日が来るといいですね」
柔和な笑みを浮かべながら、10年後、15年後の未来に思いをはせた。
(取材・文/杉園昌之)
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