味の素スタジアムで森島司は、ギラつく視線を中空に突き刺した。
敗戦に下を向く姿は、これまで何度も見てきた。
だが、悔しさの中でもなお、強い気持ちを眼力に変えて見上げる雄々しさは、かつて見たことがない。
2020年12月12日、FC東京戦後の森島は、明らかに気持ちを昂ぶらせていた。
「サッカーをやった感じが少なかった」。試合から3日後の15日、トレーニング後のインタビューでも悔しさを忘れられない森島司の表情
FC東京戦で彼は、サッカーがやりたかった。力と力、技と技。そういう闘いを見せたかった。
もちろんFC東京が仕掛けた相手をいなすような駆け引きもまた、サッカーの一部。彼らもまた、勝つためにやり方を選択した。
だが、森島は自分のサッカーへの想いがかわされたことに対して、苛立っていた。
味の素スタジアムでの闘いから3日後のトレーニング(広島広域公園)、90分間の激闘の疲れがあっても、森島司は走る
「僕は五輪出場に思い入れはない。だけど五輪に出ると、応援してくれる人が喜んでくれるから、そのために頑張る」
何度も口にしてきた東京五輪世代の森島の想いは、「プロは誰のために闘うのか」という本質を突いている。
自分のためだけでは弱い。応援してくれる人の想い、情熱、希望を背負っているからこそ、強くなれる。
力をくれ、支えてくれる人たちに喜んでもらうことこそ、プロの使命。
だからこそ、サッカーがしたい。それができなかった悔しさが胸をつき、男の視線をあげさせた。
「試合に出られないメンバーもいい選手ばかりだから」。だからこそ勝ちたいと思いを吐き出す
サポーターの想いと同時に、彼は試合に出られなかった仲間たちの悔しさも、背負っている。
なのに、自分の目の前でゴールを決められた。不甲斐ない。しかし、苛立ちを胸に突き刺しつつもなお、前を向く。
サッカーが大好きで、サッカーをやれる幸せを笑顔で表現していたサッカー少年が、経験を重ねるごとに、プロ意識を強烈に発露するようになった。
その成長が、本当に嬉しい。
森島司(もりしま・つかさ)
1997年4月25日生まれ。三重県出身。2016年、四日市中央工から広島に加入。2019年、シャドーから右ワイドへとコンバートされたが、城福浩監督に「シャドーでプレーさせてほしい」と直訴。その直後のACL大邱戦にシャドーで起用されると、そこからのACL3試合で1得点3アシストと大ブレイク。今季はここまで川辺駿と共に全試合出場。
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