AOYAMA SPECIALが、遂に出た。
11月21日、対C大阪戦。ややバランスを崩しながらも出した青山敏弘のワンタッチパスは、東俊希のスピードと技術を計算し尽くされて出されたもの。
ボールには強烈なスピンがかかって若者の到着を待った。
東、クロス。DFクリア。そしてそこには広島のエース=レアンドロ・ペレイラがいた。
右足、一閃!
この見事な先制点を生んだのは、かつて青山が佐藤寿人(現千葉)と磨きに磨いたロングパス。
視野が広く、どんな体勢からも正確なボールが出せる彼ならではのプレーだ。右膝の故障で引退も囁かれた昨年のことを考えれば、このスペシャリティが発揮できるようになっただけで、胸が熱い。
ボール回しのトレーニングでの表情も明るく、よく声も出ている
「自分の身体が動く。プレーに貪欲になれる。この感覚は何年もなかった」
確かに、これほど楽しそうにプレーする青山を見るのは、本当に久しぶりだ。
「来年は35歳。でも、もう1度(チームも自分も)Jリーグのトップに立ちたい。挑戦できるチャンスはある。そんな希望を掴んだと思っています」
「それだけのトレーニングをやっている」と手応えも口にする
ただ一方で、違う想いもある。
「連戦だろうと中2日だろうと、試合に出続けたい」
プロ入り17年目。右膝だけでなく腰も含め、満身創痍で闘ってきた青山の歴史と年齢を考え、城福浩監督はしばしば彼をベンチに座らせ、遠征メンバーからも外した。
かつては、納得していた。先発から外れても仕方がないと思っていた。
だが、今は違う。
「(川辺)ハヤオや(荒木)ハヤトのように、どんな連戦でも試合に出たい」
若い頃、ワールドユースや五輪代表に落選し、「どうして自分が」という苛立ちを力に変え、優勝とMVP、そしてワールドカップ出場を勝ち得た男である。
そうか。悔しさを感じていたのか。
その気持ちこそ、未来の希望なのだ。
青山敏弘(あおやま・としひろ)
1986年2月22日生まれ。岡山県出身。作陽高2年の時、高校選手権岡山県大会決勝(対水島工戦)延長戦でVゴールを決め、全国の切符を手に入れたはずだった。だがそのゴールが認められず、PK戦で敗戦。その10年後、広島の中心としてJリーグ優勝を果たした青山は、当時の仲間たちと共に水島工と再試合。1-1で引き分けた。
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