例えば林卓人のことを考えてみる。
2001年に加入した彼が、その後に日本代表にまで上り詰めると誰が想像したか。控えに入ったG大阪戦(5月12日)では東口順昭(G大阪)が彼に敬意を表して挨拶に行っている。誰よりも厳しい練習を自らに課し、人生を懸けてサッカーに打ち込んだ林の歴史が存在感となり、尊敬を集める。
林卓人とのトレーニングと競争が大迫敬介の成長にどれほど大きな糧となっているか
その林が今年の宮崎キャンプ最終日(1月31日)に「ケイスケはこれからの広島だけでなく日本を背負っていく選手」と語った大迫敬介は今、確かに広島のレギュラーポジションをとっている。だが、現時点での彼は未だ発展途上。林や下田崇(現日本代表コーチ)や西川周作(浦和)のような偉大さを身にまとうことができるか。それは彼が林のように努力を続け、学び続けて成長できるかにかかっている。
5月1日の神戸戦。大迫は古橋亨梧(神戸)の「裏取り」を防げず、失点を重ねた。だが、次の試合(5月8日)では攻撃力のある好調な鳥栖を完封。G大阪戦・徳島戦(5月15日)と1失点ずつを喫したが、プレーは神戸戦よりもずっと、安定している。
「確かに神戸戦が大きな学びになりました」
屈辱の3失点は、大迫敬介に大きな教訓をもたらしてくれた
やはり、そうか。
「あの場面、(映像で見返したら)下がり過ぎていた。自分のポジショニングに問題があったから、古橋選手のゴールを許したと思いました。連戦中で紅白戦もできない中での修正はリスクがあるのですが、それでもやるべきだと決断したんです」
古橋亨梧選手に喫した先制点が「前で守る」ことの重要性を再確認させた
G大阪戦の48分、パトリックが右クロスに飛び込んできた決定機。しかし大迫は敢えて動かず、正面でシュートを止めた。事前にいいポジションをとっていた証拠だ。
「他の場面もそうですが、ポジショニングでこれだけ違うんだなと実感しました」(大迫)
いいポジションをとっていれば、ビッグセーブに頼らなくても守れる。「大きなプレーなしで守れれば、それにこしたことはない」と大迫は言う。神戸戦での屈辱からの学びが、大迫に大きな成長をもたらした。
広島をGK王国に育て上げた望月一頼元GKコーチの教えも「ビッグセーブに頼らない守備」だったと記憶している
林卓人が偉大なのは、18歳の頃からあらゆる事象について学び、成長を続けてきたから。彼の高いプロ意識は、21歳の大迫敬介がしっかりと、受け継いでいる。
大迫敬介(おおさこ・けいすけ)
1999年7月28日生まれ。鹿児島県出身。広島ユース出身GKの日本代表経験者は初めて。東京五輪の有力候補で、彼がもし選ばれれば上村健一・路木龍次・下田崇(アトランタ五輪)、森﨑浩司・駒野友一(アテネ五輪)、塩谷司・浅野拓磨(リオデジャネイロ五輪)に続き広島史上8人目。今季の大迫は、PA内シュートキャッチ率でリーグ1位を記録(Jリーグ公式サイトより5月17日時点)するなど好調を維持している。
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