「藤井っ!!!!」
2020年春、吉田サッカー公園に城福浩監督の大きな声が鳴り響く。その叫びの先には、戸惑いを隠せない若者の姿があった。
「また、怒られた……」
藤井智也は、消沈した。「自分はプロでやっていけるのか」。不安にもなった。
普段は静かな城福監督だが、ピッチに立つと人が変わる。練習場に響き渡る声で選手たちを細かく指導していた(8月16日撮影)
2021年からの広島入りが内定、この時は強化指定選手として練習に参加していた藤井は、高校時代も大学でも、ほとんど叱られることもなく育った。だがプロに行くと、プレーごとに怒られる。
「なんで、こんなに言われるんだろう」
自分が未熟なことは自覚していた。だが、怒られて気分がいいはずもない。藤井は苛立ち、むかついた。だがプロになることが決まっている以上、続けないといけない。
言葉だけでなく身体ごとの指導で、選手たちに動き方を浸透させていく(8月16日撮影)
「俺等は、もっと厳しく怒られたぜ」
甲府時代から城福監督の指導を受けていた柏好文や佐々木翔は、そう教えてくれた。それでも2人は城福監督を信頼し、共にJリーグを代表する選手に成長している。その彼らの姿が、藤井の唯一の支えだった。
今年5月16日のインタビューで城福監督は藤井智也への期待を口にしている
城福監督は実は、刺激の与え方を選手によって変えていた。
森島司や川辺駿は、怒るよりも起用法のメリハリで成長を促した。一方、藤井に対しては叱りながらも試合に使い続け、反骨心を引き出しつつ、経験も積ませた。鉄は熱して叩くほど、強靱になる。藤井もまた、城福浩の「鍛錬」によって大きく成長し、今季はレギュラーを勝ち取った。
可能性を持つ若者を何とかして育てたい。城福監督からは常に、そんな熱情が溢れていた(5月16日撮影)
「ファーストタッチが変われば、お前はもっといい選手になる」
ある時、静かな調子でふっと監督に言われた言葉が、胸に突き刺さった。
だからこそ、城福浩監督の退任を知らされた26日、藤井智也は決意する。
「城福監督はずっと、自分の恩師。言われ続けたことをやり続け、いつか城福さんに褒めてもらいたい」
城福浩(じょうふく・ひろし)
1961年3月21日生まれ。徳島県出身。徳島県立城北高時代にはワールドユース日本代表候補に選出された。早稲田大を経て富士通に入社。28歳で引退、1995年に富士通サッカー部(現川崎F)監督に就任。1997年から社業に専念し、人事課長として工場のリストラを担当した。1998年、富士通を退社し、FC東京の立ち上げに関わる。以降、U-17日本代表やFC東京、甲府で監督を歴任し、2018年から広島監督。前年は降格寸前に陥ったチームを2位に導き、その後も残留争いに陥ることもなく、若手の成長とベテランの再生に力を発揮した。2021年10月26日、退任。
藤井智也(ふじい・ともや)
1998年12月4日生まれ。岐阜県出身。長良高時代は全く無名な選手だったが、立命館大に進学して以降、抜群のスピードを武器にアシストを量産して一気に注目を集めるようになった。2020年、他のJ1クラブからの誘いを受けつつも広島への加入を決意。特別指定選手としてリーグ戦15試合に出場。正式加入となった今季はシーズン当初こそ出場機会が限られたものの、試合経験を積むごとに成長しレギュラーの座をつかむ。ただ柴﨑晃誠からは「そろそろ得点やアシストなど目に見える結果を出さないと」と厳しく指摘されている。
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