2021年10月12日、4年振りに復帰した塩谷司が広島のシャツを着て吉田サッカー公園に現れた。報道陣のカメラを見て「おはようございます」と挨拶
静かな笑顔で、塩谷司は語った。
「日本に戻るなら、広島で。その気持ちはずっと、心の中にありました」
この言葉を受け、ある記者が「より条件のよいクラブでプレーをする選択肢もあったのでは」と質問する。
元日本代表DFであり、Jリーグベストイレブンも3回受賞。中東屈指のビッグクラブ=アル・アインFC(UAE)でレギュラーを張り、2018年のクラブワールドカップ決勝ではレアル・マドリードからゴールを決めたほどの男だ。《国内外から数多くのオファーはあった》という情報の信憑性は高い。
「広島というクラブが、好きなだけ」
広島に4年振りに戻ってきた男は、即答。心が震えた。
10月12日、塩谷司復帰記者会見。広島への愛情に満ちた時間だった。
ゆったりとストレッチを行う塩谷司。「若い時と同じようにギラギラしたところは持ちつつ。冷静に対処できるようなりました」。なるほど、だから表情にも大人の余裕を感じさせるのか(10月12日撮影)
親友・清水航平は、塩谷が身体を絞って練習場にやってきたことに驚いたという。「(少々肉付きがよくても)関係ない人ですけどね(笑)」と言った後、「また一緒にサッカーができることは嬉しい」と言葉を弾ませた。
同じDFとして、広島ユース時代に憧憬の目で塩谷を見ていたという荒木隼人は「攻守において特別な人」と語り、2015年の優勝を共に味わった佐々木翔は「ただただ、とんでもない存在。また学ばせてもらいたいし、自分の成長も見てもらいたい」と笑顔を見せた。
左右両足で精度の高いキックが蹴れるが、爆発的なのは右足。強烈なミドルシュートやFKでのゴールを何度も披露し、広島の3度の優勝に大きく貢献した(10月12日撮影)
水戸から広島移籍と塩谷と同じ道を歩いている浅野雄也は「可愛がってもらえるように頑張ります」とおどけ、そして青山敏弘は「彼が広島を選んでくれて、ここにいてくれるだけで大きな存在」と戦友の復帰を喜んだ。
ヘディングの強さも塩谷の大きな武器。彼の広島初得点は2013年5月11日、最終ラインからスルスルとあがって決めたヘディングシュートだった(10月12日撮影)
気になるのは彼がいつ、試合に出られるか。
池田誠剛フィジカルコーチは「約5ヶ月のブランクがあって厳しいかと思っていたが、体力の数値等は想定以上のレベル。ほっとしました」と笑顔。もちろん、急にトレーニングの強度を上げればケガのリスクはあるが、城福浩監督も「来週のどこかで練習にフル合流できれば」と11月の試合復帰に含みをもたせた。
実は体重はやはり、アル・アイン時代よりも5㎏、増加していた。だが「体脂肪率は変わっていない」と塩谷司は言う。つまり増加分のほとんどが筋肉量。この事実だけで、塩谷が言う「強いサンフレッチェ広島を取り戻す」という言葉の裏にある闘志が、証明されている。
塩谷司(しおたに・つかさ)
1988年12月5日生まれ。徳島県出身。2007年、徳島商高から国士舘大に進学。2009年、父親が急死。家族のために退学を考えるが、細田三二監督や母親にサッカーを続けるように説得された。2010年、国士舘大のコーチとなった柱谷哲二が才能を発見。翌年、水戸の監督に就任した柱谷の誘いによってプロ入り。2012年8月、広島に完全移籍して3度の優勝に貢献。2017年、アル・アインFC(UAE)に移籍し、レギュラーとして活躍。今季5月、UAEのシーズン終了後に帰国。コロナ禍における海外の生活が続いた疲れをリセットするために長期休養をとり、10月に広島復帰。
【中野和也の「熱闘サンフレッチェ日誌」】