誰よりも声が出る。
叱咤、激励、戦術的な指示。「いいプレーだ、続けろ」と言われた選手は勢いに乗り、厳しい声が飛べばチーム全体がピリッと引き締まる。
練習の合間に林卓人(中央)が野上結貴(右)や茶島雄介(左)に語りかけ、細かな修正点を確認。守護神の言葉に2人も真摯に耳を傾けていた(1月26日の練習中にて)
プレーのクオリティ、肉体の切れ、スピード。あらゆる意味において、林卓人は元気だ。藤原寿徳GKコーチも「非常にプレーの内容がいい。他のGKたちにとっては大きな壁となる」とプロ21年目を迎える背番号1に称賛を惜しまない。
ただ、彼と同年代の選手の多くは、既にスパイクを脱いでいる。2001年、一緒に広島加入を果たし、青春期を共に過ごした元北朝鮮代表・李漢宰(リ・ハンジェ)も昨年末、引退を発表した。
右足キックの精度が高く、広島時代には右クロスからアシストの山を築いたテクニシャンは、林に引退を報告した電話で「俺の想いはお前に託した」と告げた。
「無理だ。お前の熱い想いは俺には重すぎる。背負わせないでくれよ」
冗談まじりで、林は同期の熱血漢に言葉を贈った。
「ただただ、熱い男ですからね、ハンジェは。ケガをずっと抱えていたけれど、精神力で乗り越えてきた選手なんですよ」
1年目、そして2年目。2人はなかなか試合出場を果たせず、悔しさを募らせていた。
だが林と李に共通していたのは、そんな状況でも決して腐らず、誰よりも練習を続けていたこと。同じ時間、同じ悔しさを共有した2人の間に友情が芽生えたのは自然の成り行きだった。
李漢宰と切磋琢磨した若き日々から、林のロングキックには定評があった。あの当時からさらに精度も威力も磨きがかかっている(2月14日山形戦にて)
「ニシ(西嶋弘之※元広島MF)とハンジェに関して言えば、サッカー選手としての同期を超えた、友だちなんです。あいつが引退した後も、関係は続いていく。まずはゆっくりと身体の傷を癒やし、次の人生に向けてあいつらしく、生きていってほしい」
友への想いを紡ぎながら、林卓人は21回目の開幕を静かに待つ。
林卓人(はやし・たくと)
1982年8月9日生まれ。大阪府出身。金光大阪高から2001年、広島に加入。2002年11月30日、対札幌戦で途中出場したのがデビュー戦。ちなみに李漢宰はその2試合前の鹿島戦でリーグ戦デビューを果たしている。2004年アテネ五輪アジア最終予選で大活躍し、五輪出場権獲得を果たしたが腰痛もあって本大会ではバックアップに回った。2005年、札幌に移籍し2007年から仙台。2014年に広島復帰を果たし、2015年の優勝に大きく貢献した。
【中野和也の「熱闘サンフレッチェ日誌」】