「接戦になったら、あとは気持ち。気持ちで絶対に引かないようにしようと思っていた」
試合中の厳しい表情から一転、安堵の笑みをこぼして、彼は言う。
現役プロテニスプレーヤー、西岡良仁が企画・主催するジュニア大会“Yoshi’s Cup”。
その初代チャンピオンとして優勝トロフィーに名を刻んだのは、本命と目されていた16歳の松岡隼だった。
西岡が「フォアハンドの当たりがエグイ」と舌を巻く松岡の、一つの転機は中学卒業時。
通信制の高校に進み、多くのプロを輩出した名門・桜田倶楽部を拠点に定めた。
その成果は、短期間のうちにも目に見える成長として現れる。
一つには、「マンツーマンで見てくれる」というコーチとトレーナーの指導の下で「ストロークの安定感が増した」。
決勝戦で攻撃的プレーを貫く松岡(手前)
加えて大きいのは、プロ選手と練習する機会を得られることだ。
世界の60位に達した伊藤竜馬と打ち合い、トッププロのパワーを体感した。
さらには、倶楽部出身の原田夏希がコーチを務める奈良くるみとも、望んで練習させてもらった。
奈良は世界の32位に至った選手だが、パワーでは当然ながら松岡が上。
ただ松岡が求めたのは、「あの身体(155㎝)で世界と戦える奈良さんのプレーを知る」ことだ。
実際に奈良と打ち合った松岡は、「ミスがないし球が深い。すぐに中に入ったりと、ジュニアにはいないタイプ」のテニスを肌身で感じることができたという。
目指す地点を朧気ながら視野にとらえ、そこに至る順路を描く道中で出たのが、今回のYoshi’s Cup。
その場で西岡から伝えられた「良いプレーでなくても、勝ちは勝ち」などの言葉は、若武者の向上心のツボを刺激したのだろう。
闘争心を前面に出し、数々の接戦を勝ち切りタイトルをつかみ取った。
ところが試合を振り返る表情や声は、ふわりとした浮遊感に包まれる。
「怖そうな表情でお願いします!」というこちらの写真用リクエストにも、照れたように笑ってしまい、「すみません、無理です」とギブアップ。
コーチすら「人格が変わる」と驚くほどのオン・オフの切り替え力も、世界で戦う上で欠かせぬ資質のように映った。
松岡隼(まつおか・はやと)
2005年1月15日生まれ。今年の全日本ジュニア16歳以下を制した、この年代のトップ選手。ジュニア・デビスカップの日本代表メンバーでもある。
松岡が決勝で下したのは“西岡2世”
西岡良仁(にしおか・よしひと)
1995年9月27日三重県生まれ。世界ランク48位到達、ATPツアー優勝の実績のみならず、”地域活性化プロジェクト”や今回の大会を企画・運営するなど、テニスの普及や若手育成への活動も行う。
【内田暁「それぞれのセンターコート」】