生まれ育った土地に帰ってくると、ふと郷愁に駆られる。サッカーの街には、ボールを蹴れる場所は至るところにある。
今季、名古屋グランパスからレッズに完全移籍で加入した前田直輝は、懐かしそうに振り返る。
「浦和のあのグラウンド、あの公園、あの広場でも、朝早くから父に叩き起こされて、一緒にトレーニングしたなって。よく怒られた場所も覚えていますよ(苦笑)」
父親はいつだって本気だった。息子をプロサッカー選手にするために徹底的に技術を叩き込んだ。本やDVDを買い集めて熱心に研究し、厳しいトレーニングを課したという。
「こうして話せば、美談に聞こえますが、子どもの頃は正直、しんどい時期もありました。今となっては本当に感謝しているんですけどね。父には『ドリブラーになれ、ドリブラーになれ』と言われていたんです」
プロフットボーラー前田の原点である。幼少期はフェノメノ(超常現象)の異名を取った元ブラジル代表のロナウドのプレー映像を見ながら、浦和区内のグラウンドで明けて暮れてもドリブルの練習に精を出した。
小学校の低学年時代、元浦和レッズの山田直輝(現湘南ベルマーレ)、矢島慎也(現清水エスパルス)らも技を磨いた北浦和サッカースポーツ少年団でプレーしたのも思い出のひとつ。
転機が訪れたのは、小学校3年生の終わり頃だった。当時のレッズにはジュニアチームがなかったこともあり、県外でセレクションを受けて東京ヴェルディ1969ジュニアに加入。9歳の頃から約1時間半かけて、浦和の自宅から東京の練習場まで通い続けた。
ドリブラーとして、大きく成長したのは中学生年代のときだ。自認していたスピード不足を補うために走力トレーニングに励み、フィジカル能力を向上させた。
「昔は何度も切り返すタイプだったのですが、足が速くなってきてからは、こねなくても抜けるようになりました」
前田の理想は相手の逆を取り、体にも触れられずに抜き切ること。ダブルタッチでDFの残った足をかわすのも、得意とするところである。数え切れないほどのトライ・アンド・エラーを繰り返し、感覚を研ぎ澄ましてきたという。
「やって、やって、やりまくって、やっと身に付くものだと思います」
29歳を迎えた今の今まで生粋のドリブラーとしてずっと生きてきた。
2024年2月23日、レッズでのデビュー戦となった第1節のサンフレッチェ広島戦でも持ち味を随所に発揮。途中出場で67分からピッチに入ると、右サイドで躍動する。縦に突破してクロスを送り、カットインしてゴールを狙った。
ただ、本人に水を向けると、首を大きく横に振る。
「結局、何も残せなかったので。僕は0ゴール、0アシスト。まったく満足していません」
広島からの帰りの新幹線で試合の映像をあらためて見直すと、反省点ばかりが目についた。
クロスを上げ、シュートも打っているが、決定的なチャンスをつくり出せていたのか、右足でセンタリングを供給したときに中の枚数はどうだったのか、味方はどこに入っていたのか、何度も自問自答した。
興梠慎三ともコミュニケーションを取り、改善点を確認したという。クロスは味方に合わせてこそ成功であり、シュートは得点につながってこそ価値が生まれる。
「ドリブルだって、ぶち抜けていません。仮に周りから『良かったね』と言われても、僕はもっとうまくできたはずだと思うタイプなので。満足した時点で成長が止まってしまいますから。アタッキングサードで試合を決定づける仕事ができるようにもっとこだわっていきたいです」
試合後だけでなく、練習中から仲間と積極的にコミュニケーションを取るのも、すべては自身のレベルアップのため。27歳でオランダのFCユトレヒトへ移籍したときに余計なプライドはすべて捨ててきたという。常に自らの改善点に目を向けている。
「成長するためだったら、僕はなんだってします。紅白戦で思うようにプレーできなかったときは、チームメイトに『どうすれば、もっと嫌だった?』と聞くようにしています。僕自身、ウィークポイントがたくさんあるので。でも、逆にそこは伸びしろ。まだ成長できると思っています」
ホーム開幕戦に向けて、気を引き締める。真っ赤に染まる埼玉スタジアムに胸を躍らせるよりも、キーマンとしての責任をひしひしと感じていた。
「今のレッズはウイング次第で勝敗が決まると思っています。毎試合、1ゴール、1アシストの活躍を見せたい。これは欲求ですね。どれだけゴールに直結するプレーができるかどうかなので。両サイドの僕らが良いプレーをすれば、チームも乗ってくるはずです。背負い込みすぎるのは良くないですが、それくらいの気持ちで臨みたい」
守護神の西川周作から冗談交じりに『浦和キラー』と呼ばれた男は、熱狂するスタジアムにはめっぽう強い。浦和戦で決めたゴールはいずれも鮮烈だった。
横浜F・マリノスに在籍時は2017年の開幕節と最終節で決勝ゴールをマーク。名古屋グランパス時代にはプロで初めてハットトリックを達成し、埼スタでも得点を記録している。
本人は「たまたまですよ」と苦笑しながら、本音も漏らした。
「埼スタでは特に気持ちが入っていたのかな。地元の友人たちはレッズファンが多いですし、見に来てくれるので。あれだけの数のファン・サポーターのなかでプレーすれば、敵チームの選手であっても、もちろんプレッシャーはかかりますが、やってやろうという気持ちにもなります。
今は左胸にレッズのエンブレムを付けていますし、スタンドのみんなが味方になるので心強い。レッズのユニフォームを着て点を取ると、また違う思いがこみ上げてくるのでしょうね」
3月3日、埼玉スタジアムに迎えるのは、16年ぶりにJ1に復帰した古巣の東京V。昨年11月、昇格を決めたときには声を出して喜んだが、今はレッズの一員として強い自覚を持っており、目の前のチームを打ち負かすことしか考えていない。
「普段どおりの気持ちで闘います」
新体制発表記者会見で前田が口にした言葉を覚えているファン・サポーターも多いだろう。
「小さい頃から本物の浦和の漢たちを見てきたんで、その浦和の漢に近づけるように頑張ります」
前田にとって、『浦和の漢』とは子どもたちに憧れられる存在であり、ファン・サポーターに認められるプレーヤーである。
幼少期から家族そろって、浦和を沸かしたドリブラーに惚れ込んでいた。地元のすし店で憧れだった田中達也のサインをもらった記憶は、今も色あせていない。
「僕らからは話しかけられなかったので、大将が気を利かせて、促してくれたんです。あの日のことは、すごく思い出に残っています。田中達也選手、エメルソン選手のドリブルは速くて、鋭くて、かっこよかった。
試合の翌日は、学校でもいつも話題になっていましたから。同じレッズの選手として、僕もあんなドリブルをしたい、いや、しないといけないと思っています。浦和に来てくれてよかったと思われる選手になりたいです」
前田は落ち着いた口調で自らに言い聞かせていた。「評価は他人がするもの」。レッズで目に見える結果を残すことだけに集中している。
(取材・文/杉園昌之)