「本当にそういうことってあるんだなって思いました。『え……!?』みたいな(笑)」
「J3からキャリアをスタートして、J1でプレーすることを夢見て頑張ってきました。それが京都で叶うと、さらに欲が出てきて、もうひとつ、ふたつ成長したいし、日本代表にも近づきたいと思うようになって。でも、いざ浦和レッズからオファーをいただいたら、めちゃくちゃ悩みました。正直、人生で一番悩んだんじゃないかって」
「心の中ではたぶん『行く』って決めていたと思うんです。でも、何かきっかけが欲しかったというか。これから先の人生を考えたとき、ベストイレブンに選ばれたセンターバックがふたりもいる環境に飛び込むことが、本当に正解なんだろうかって……」
「それに、家族のこともありました。上のふたりの子は高校生ですし、妻も大阪で仕事をしているので、付いて来てくれるのか、単身赴任になるのかとか。僕自身、これまで関東に住んだことがなかったので、けっこう悩みましたね」
「プロ3年目、4年目のときの監督なんですけど、隆三さんと出会えたのは、僕のサッカー人生ですごく大きくて。考え方を変えてくれた人。DFって強くて高いイメージがあるじゃないですか。でも、考えてやれば小さくても勝てると。隆三さんは身長が僕と同じ180cmくらいで、身体能力も決して高いわけではないけれど、それでもなぜ日本代表に選ばれたのか、っていう話をしてくれて」
「隆三さんの言葉に『出させて取る』というのがあるんです。わざとスペースを空けて、そこに出させてボールを奪う。相手のプレー選択までコントロールするっていうことなんですけど、僕はそれまで『出させない』っていうイメージだったので、衝撃的で。僕は足が遅いほうなんですけど、隆三さんと出会ってから、予測力でカバーできるようにもなりました」
「隆三さんは『ベストイレブンに選ばれたふたりは、跳ね返せるし、攻撃で違いも生み出せるし、ここ最近のJリーグの中では理想的なセンターバック』だと言っていました。『そんな選手が揃う環境に飛び込むチャンスは滅多にないことだし、素晴らしいクラブからオファーをもらえるなんて、サッカー人生で1回あるかどうかだよ』って」
「『考えすぎると、勇気がなくなるよ。最初に自分が思ったことを優先するのが一番なんじゃないのかな』って。『そう考えると、黎生人の答えはすでに決まっているんじゃないの?』って日本語で言ってくれて、『ええー!』と思って。これはもう、行くべきだなと。踏ん切りがつきました」
「その言葉は嬉しかったですね。僕自身、鳥取のルーキー時代に1年だけ一緒にやらせてもらった馬渡(和彰)さんがその後、フロンターレで試合に出ている姿をテレビで見て、自分も頑張れば行けるのかなって勇気をもらったので。自分のことを見て、同じようにそう思ってくれる選手がいたらいいなって」
「僕、けっこう人見知りなんですけど、これまでの移籍の中で一番馴染みやすかったというか。歳下の選手たちもどんどん話かけてくれるし、先輩方もそうです。タカさん(関根貴大)はちょいちょいイジってくれるし、(前田)直輝さんもよくしてくれるし、(岩尾)憲さんも話し掛けてくれる。(中島)翔哉さんは変わりもんって言われていますけど、僕、好きなんですよ、すごく面白いなって(笑)」
「練習自体はすごく楽しいし、今までにやってこなかったことにもチャレンジし始めて、ここならまたひとつ、ふたつ成長できるなって感じています。今は序列が下ですけど、ここで腐るようじゃ成長はないし、地道にやり続けるしかない。今までもそうやって上に上がって来ましたから。
「22年にアウェイで埼スタに来たとき、まだコロナ禍の人数制限があったんですけど、それでも今までに味わったことのない独特な雰囲気がありました。スタジアムが満員になったらすごいんでしょうね。早くあのピッチでプレーしたいです」
「妻とまだ結婚する前、妻の職場にヤットさん(遠藤保仁)が何かの企画で来たんですよ。それで妻が『彼がJ3でやってるんですけど』と言ったら、『誰?』って。『井上って言うんですけど』って言ったら『ごめん、わかんないわ』って。そりゃそうでしょと思って(笑)。でも、色紙にサインしてくれて『J1目指せ』って書いてくれたんです。それは鳥取でも、岡山でもずっと飾っていました」
「ヤットさんに挨拶してお礼を言ったら、『おおー』って。『J1で対戦できたらユニフォームを下さい』ってお願いしたんです。翌年、僕が京都に移籍して、ジュビロもJ1に昇格したんですけど、最初の対戦では僕はベンチだったんで、それで交換するのはダサいと思って。
「僕には4人の子どもがいるんですけど、上の3人は妻の子で。今、高3と高1の娘は大阪の妻の実家から学校に通っていて、僕は10歳の長男と2歳の娘と妻と一緒に住んでいるんです。長男はサッカーに興味がなくて、これまでも僕が試合から帰ってきたら『リキ、どこ行ってたん?』って言うくらいだったんです。
(取材・文/飯尾篤史)