8月22日、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)2022ノックアウトステージ準々決勝を戦う埼玉スタジアムだった。
アレクサンダー ショルツはウォーミングアップをするため、ピッチで身体を動かしていた。
赤く染まった北サイドスタンドからは心を揺さぶる声援が聞こえてくる。それが特定の選手を鼓舞するチャントだということはショルツにも分かった。
近くにいたキャスパー ユンカーが話しかけてくる。
「これは誰の曲だろうね?」
「これは(酒井)宏樹の曲じゃないかな?」
そんなやり取りをしていたときだった。
「ビバ、ショ〜ルツ! ビバ、ショ〜ルツ! オレ〜オレ〜オレ〜♪」
すぐに自分のチャントだと気がついた。
「その声援が自分のための曲だと分かったときにはうれしさが込み上げてきました。自分のチャントを歌ってもらえたことで、自分もファン・サポーターから浦和レッズの一員として認められているんだと、改めて感じることができました」
中2日での3連戦。ノックアウトステージの初戦となったラウンド16から準決勝までの3試合は、タフなショルツにとっても激闘の7日間だった。
「正直、前の試合のことを忘れてしまうくらい強度の高い試合の連続でした。あっという間に次の試合が来て、かなり疲労も蓄積しました。ただし、チームとしてのパフォーマンスはいずれの試合も高く、全員がいいプレーをしていたと思います。
準決勝の全北現代モータースFC戦はPK戦に突入する前に勝てるチャンスがあったので、そこは悔やまれるところですが、結果的に勝利することができて本当によかったです。あの試合は自分のキャリアのなかでも、いくつかあるベストゲームの一つになりました」
ACLのノックアウトステージを振り返れば、ラウンド16のジョホール・ダルル・タクジム戦で、開始8分にショルツが決めたPKから快進撃はスタートした。
そして120分という土壇場で2-2に追いついた準決勝も、浦和レッズはショルツからPK戦をスタートさせた。そこでもショルツはしっかりとシュートを決め、チームに流れをもたらした。
「ものすごく緊張していました。でも、西川(周作)選手が相手の1本目のシュートを止めたのを見て、『勝てる』という自信が芽生えました」
心強かったのはゴール裏で見守ってくれていたファン・サポーターだった。
「相手のキッカーが蹴るときは、旗が大きく揺れていて、ものすごいプレッシャーを与えてくれていました。でも、自分が蹴るときにはすべての旗が降ろされ、スタジアムも静かになり、集中して蹴ることができました。
相手のGKが、自分が蹴るコースを読んでいる気がしたので、たとえ読まれたとしても止められないように強いボールを選択しました。(相手のPKを)4本中3本も止めた西川選手は本当に素晴らしかったですが、間違いなくファン・サポーターの力が働いていましたよね。それはPK戦だけでなく、(延長後半の)最後の最後で同点に追いつけたシーンも含めてです。今、思い出しても、自分にブーストを掛けてくれるかのような力がありました。
自分自身はUEFAチャンピオンズリーグに出場した経験もありますけど、そのときはすでにコロナ禍だったので無観客での開催でした。だからこそ、今回のACLは特別な経験になりました。これはきっと、僕だけではなく、あの場にいた選手全員にとって特別な瞬間になったと思います」
振り返れば、ACLのグループステージを終え、リーグ戦に戦いの場を移した明治安田生命J1リーグ第12節の柏レイソル戦からチームは6試合もの間、勝ち星から遠ざかっていた。ACLのグループステージ前まで遡ればリーグ戦での未勝利は9試合にも及んでいた。
その間もセンターバックとして先発出場を続けていたショルツは、チームを奮い立たせるかのように最終ラインからボールを持ち運ぶと、ときには自らクロスを上げるなど、積極的に攻撃参加を繰り返していた。
「当時はチームとしてなかなか結果を出せず、自分自身もフラストレーションが溜まっていました」とショルツは言う。
「そうした時期には、ときに自分の過去を振り返り、苦しい時期をどう乗り越えたのかを考えることもありました。かつては自分自身も試合に負けて悔しく、眠れない夜を過ごしたこともありました。
ただ、確かに浦和レッズは試合に勝ててはいなかったかもしれませんが、負けてもいなかった。ラストフェーズ、攻撃の最後の部分で何かが足りず、ゴールにつなげることができていなかった。 ACLも含め、ここ最近は改善されてきたように、チームにはポテンシャルがあるとずっと信じていました」
ショルツのプレーは今も変わらず安定感を見せているが、当時は自らのプレーで、チームを、仲間を鼓舞しようと、メッセージを発信しているかのように映っていた。
それを伝えると、ショルツは静かにうなずいた。
「自分自身は何を見せたかったかというと、Jリーグだろうが、ACLだろうが、天皇杯だろうが、ルヴァンカップだろうが同じです。常に勝者のメンタリティーをチームメートに伝えようとしていました。それは何かといえば自信になります。
そして、その自信とは誰かに与えられるものではなく、自分自身でつかみ取るもの。さらに言えば、自分自身の内側から湧き出てくるものだとも思っています。ただし、自信とは一夜にして湧き出てくるものではありません。だからこそ日々の努力が必要になります。実際、自分もここまで、いろいろな経験を繰り返しながら自信を深めてきましたから」
そして、ショルツは昔話を聞かせてくれた。
「妹弟に聞いてもらえればより分かると思いますけど、自分は家でもすべてのことに勝ちたいと思って過ごしてきました」
こちらが「妹や弟にも?」と聞き返すと、ショルツは「何も与えたことはないくらいに」といって白い歯を見せた。
「そうした生い立ちが今の自分にかなり影響を与えていると思います。父親もサッカー選手だったので、自分がサッカーをはじめた5歳、6歳のころから、勝つための準備や姿勢を学んできました。
幼いころから父親と一緒に練習場に行き、サッカーの匂いを身体で感じてきたんです。そのとき培われた記憶は今も鮮明に残っていますし、何かに勝ったときの感覚が血や骨に染み込んでいます」
ユースのときには、自分よりも一つ年下の選手がライバルで、彼に追いつき、追い越そうと努力したことで、プロへの道を切り開いたと教えてくれた。
ショルツに勝者のメンタリティーを植えつけた父親もセンターバックやサイドバックとして活躍した選手だった。プレースタイルは似ているのかと聞けば、「自分よりもスピードもあってパワフルだった」という。
「似ているのは、どちらかというとメンタル面で、物静かなところかもしれません」
言葉や態度ではなく、自らのプレーにメッセージを込めていたのは、まさに父親譲りなのだろう。
「ACLでの戦いを振り返っても、チームとして攻撃にパワーを出せたときほど、いい試合ができています。だから、これからも攻撃的な姿勢を見せ続けていかなければいけない。ここからは本当にチームとして常にベストを追求し、見せていく時期になります。
昨季、カシマスタジアムで対戦したときは0-1で敗戦した苦い記憶が今も残っています。鹿島アントラーズは簡単に勝てる相手ではありませんし、カシマスタジアムは簡単に勝てる場所でもありません。でも、ACLでつかんだ自分たちの自信を確かなものにするためにも、勝利という結果をつかみ取りたいと思います」
次戦に向けて、自ら昨季の記憶を呼び覚ましたように、結局のところ負けず嫌いなのだ。
埼玉スタジアムで戦うことができたACLで、自分のチャントを聞き、奮い立ったエピソードには続きがあった。
「あとから、そのチャントがかつてこのクラブで活躍した(田中マルクス)闘莉王さんの曲を引き継いでいるということを聞きました。そうしたクラブの伝統や歴史を自分が受け継いでいることはうれしいですし、同時にそれに見合った活躍と、それに見合った選手になっていかなければならないと思っています」
前者は感情を表に出し、声や態度でチームを牽引する選手だった。一方のショルツは声ではなく、プレーや姿勢でチームを牽引していく。
ただし、勝者のメンタリティーが血や骨に染み込んでいるように、内に秘める闘志は同じく熱いものが流れている。
(取材・文/原田大輔)