憧れの「マイヒーロー」について話を聞いていくと、気がつけばキャプテンシーにまで話題は発展した。
出発は決まっているのに、予想外のところに着地する。取材者冥利に尽きると、思わずにはいられなかった。
今季、浦和レッズのキャプテンを務めている酒井宏樹である。取材はテーマに沿って、「子どものころに憧れた選手は誰か」というところから出発した。
「思い出したのが、2002年日韓ワールドカップで活躍した鈴木隆行さんです。当時の自分はFWでプレーしていたこともあって、ベルギー戦で決めた日本のファーストゴールが衝撃的でした」
家で家族と観戦していたという酒井少年は、鈴木隆行のゴールに興奮し、熱狂した。
「あのときの23人の日本代表メンバーは、誰もが輝いて見えましたけど、ワールドカップが終わるまでの間、鈴木隆行選手を追っていました。それくらい日本の(2002年ワールドカップでの)初ゴールを挙げたストライカーに憧れていました」
そう言って懐かしむ酒井が、エピソードとして覚えていたのは、スパイクをおねだりしたことだった。
「鈴木選手が当時履いていたのが、NIKEのマーキュリアルヴェイパーでした。決して低額なものではなかったと思うので、かなり親にお願いした記憶があります。しかも、まったく同じものがほしいと言って、FGというモデルを買ってもらいました。
でも、細かいことを言うと、FGは芝用のスパイク。当時の僕は土のグラウンドでサッカーをすることがほとんどだったので、体や足にはよくなかったのかもしれないですね。思うと、その頃からNIKEを履いていましたね(笑)」
育成年代の多くを柏レイソルのアカデミーで過ごし、2009年にトップチームへと昇格した酒井は、柏レイソルの先輩たちにも憧れを抱いていた。
「もちろん憧れはすごくありました。アカデミー時代は、トップチームにいるすべての選手が憧れで、そのなかでも大谷秀和さん、北嶋秀朗さん、近藤直也さんには、特に憧れていました」
若手選手時代は右ではなく、左サイドバックだった酒井と、当時・同じポジションでプレーしていたのが、ボランチとしてのイメージが強い大谷だった。
「でも、大谷さんと自分では、あまりにもプレースタイルが違いすぎたので、参考にするのは違うなと思って見ていました。大谷さんみたいなプレーは自分にはできないと思って」
トップチームでともに過ごすようになると、大谷からはプロとしての姿勢を学んだ。
「私生活も含めて、プロとはこうあるべきだという姿勢を感じました。あまり言葉で語りかけるタイプではないのですが、普段の立ち居振る舞いや試合への持っていき方を見ているだけで、自然に学べるというか。本当にきちっとしている人で、見習うところがたくさんありました」
北嶋秀朗からは、プロとしての情熱を知った。
「とにかくキタジさんは熱かった。自分が試合に出るために、練習から常に全力で、いつもギラギラしていました。その意欲に、これがプロなのかと圧倒されたことを覚えています。
同じポジションを争うライバルがゴールを決めたときには、うれしくもあり、悔しくもあったと思うのですが、そうした気持ちを表に出しつつ、それがチームにとって決してネガティブな要素になることがなかった。当時の若手選手たちからしてみると、自分たちと同じような意識で練習に臨む姿勢に、すごくやり甲斐を感じました」
そう話した酒井は、「自分がそのときのキタジさんと同じくらいの年齢になった今、若手選手たちに対して、同じように示すことはできていないんですけどね」と、苦笑いを浮かべる。
そして、選手としての自分の在り方について語ってくれた。
「僕は、すべてを試合に振り切って考えています。試合のために練習をしているので、毎週、試合でどう活躍するかを、週の始めから考えて、逆算して取り組んでいます。だから、ときには練習に熱くならない日もあるので、年齢の若い選手にとっては、いいお手本にはなれていないと思います。キタジさんと違って、ときには全力で練習をしていないように見えるときもあるかもしれないなって」
それはマルセイユ時代に見つけた自分なりの流儀であり、リズムだった。
「重要な試合があまりにも連続するので、ケガも抱えていながら、練習も全力で取り組んでいたら、身も、頭も持たないなと思ったんです。そこから考え方を変えて、体は力を抜いているけど、頭を回転させているようなイメージで調整しています。浦和レッズもACL(AFCチャンピオンズリーグ)も含めて試合数は多いですからね。
それもこれも、すべては試合で全力を出せるかどうか。なぜなら、責任というものを自分が負えるのは、試合しかないと考えているので。勝敗という責任を背負っているすべての覚悟を試合で示すために、日常があると考えています」
そう言って、柏レイソル時代に憧れた選手として名前を挙げた近藤直也について言及すする。
「ドゥーさん(近藤)は、ケガが多いイメージがあって、いつもアイシングしていました(笑)。でも、すごいのは、ケガを抱えながらも、試合にバチッとコンディションを合わせてきていた。その姿もまた、プロだなって思いました。そこは、もしかしたら、今の自分の感覚に似ているのかもしれません。
自分もケガを抱えながらやってきたので、できること、できないことがはっきりしてくる。そのうえで、試合に照準を合わせていく。ドゥーさんの姿を思い出すと、結果的に自分も同じ道を歩んでいる感じもしますね」
手を抜いているわけでもなく、全力を尽くしていないわけでもない。どこで100%の力を出し、どこで勝負するかを見極めているがゆえの選択である。それが酒井なりの責任の背負い方でもある。
「だから、僕はキャプテンらしくないのかもしれない。僕自身は、試合で動けなければ、何を言っても説得力はないと思っているし、試合でこそ自分が一番頑張らなければいけないとも思っています。頑張る方法も、ピッチのなかでのプレーだと考えているので、そこだけにフォーカスしています。
浦和レッズには素晴らしいベテラン選手がたくさんいるので、チームに対して声を出したり、練習で背中を見せたりする役割を、自分がやる必要はまったくないんです。だから、僕は周りのベテラン選手たちに支えられて、思いっ切りプレーで示すことに集中できています」
酒井なりに、先輩たちの姿を見て、自分の糧や経験として、しっかりと落とし込んでいた。キャプテンになったからといって、今までやっていないことを無理にやろうとするのではなく、できることはできる人に託す。それこそが個人競技ではなく団体競技であるサッカーの魅力なのではないだろうか。
最後に「でも」と、酒井は言った。
「浦和レッズのキャプテンになってよかったと思うこともあるんです。それはファン・サポーターの声援も、ブーイングもすべてを先頭に立って受け止めなければならない立場でもあるからです。
その期待に応えようと、乗り越えるための選択肢を探して、探して、乗り越えたあとは充実感を得られますし、ファン・サポーターの期待が大きければ大きいほど、そこにやり甲斐はあると思っています。それを経験させてくれる浦和レッズは、だからやっぱりすごいなって思うんです」
責任を受け止める決意と、乗り越えようとする覚悟がある。酒井は「キャプテンシーなんてない」と笑ったが、インタビューしたこちらには、誰よりも勝利に貪欲な、頼もしい、そして頼れるキャプテンだった。
(取材・文/原田大輔)