試合前、選手たちがウォーミングアップをしている姿に目をやると、視線が釘付けになる人物がいる。その人は情熱的に手を叩き、選手たちを鼓舞すると、試合に臨む雰囲気を作り出していた。
試合が始まり、ベンチメンバーがアップしているエリアに目をやると、試合中にもかかわらず、ついつい視線を送ってしまう人物がいる。その人は途中出場する選手の肩に手を置き、情熱的な言葉を掛けているように見えた。
テックのニックネームで選手たちから慕われているフィジカルコーチのヴォイテク イグナチュクだった。ここでも親愛を込めてテックコーチと表記させてもらおう。
マグカップを片手に、インタビュールームに現れたテックコーチは、力強く握手をすると、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
テーブルの上に置かれた陶器のマグカップを見ると、人の顔が象(かたど)られている。こちらがマグカップを見ていることに気づいたのか、笑みを浮かべながら教えてくれた。
「これはお気に入りのマグカップで、購入したのはポーランドなのですが、カタール、UAE、そして日本と、7年間ずっと一緒に旅をしてきました」
選ぶマグカップのセンスと、長く使い続ける愛着にキャラクターは表れている。こちらが「試合中も動きに注目してしまう」と、告げると「エモーショナルな部分が出てしまっているからですかね」と言って、さらに笑った。
「実はGKとして、プロサッカー選手を目指していたのですが、それが叶わなかったところから自分のキャリアはスタートしたと思っています。選手としては、本当にダメなGKでしたから」
プロサッカー選手になる夢を諦め、フィジカルコーチとしての一歩を踏み出したのは、21歳だった。
「大学の近くにあったアルカ グディニャでフィジカルコーチとして働きはじめ、他のクラブでフィジカルテストを担当したりもしました。ただ、当時のポーランドには世界に通用するトップレベルのフィジカルコーチが少なく、私自身は『Ph.D』という博士号を獲りたいという考えがありました。ポーランド国内にいたのでは、コーチだけでなく、トップレベルの選手たちと接する機会も少ないため、海外に飛び出してキャリアを築こうと考えたんです」
テックコーチが目をつけたのが、2022年のFIFAワールドカップ開催が決まっていたカタールだった。
世界的なサッカーの一大イベント開催が決まり、カタールは施設だけでなく、人材の登用にも力を入れていた。世界中からトップレベルの指導者や選手が集い始めていた。
「当時のカタールには、レアル マドリーで活躍したラウール ゴンサレスやベンフィカでプレーしたルバン アモリムがいました。私は積極的に彼らとコミュニケーションを取り、レアル マドリーやベンフィカでは、選手たちがどのようなトレーニングを積み、どのように日々を過ごしているのかを聞きました。
また、カタールのアスパイアアカデミー(カタールの育成組織)では、現在バルセロナの監督を務めているシャビが携わっていたので、彼からも多くの話を聞くことができました」
フィジカルコーチのひとりとして、テックコーチは、レアル マドリーとバルセロナのフィロソフィーを知ったのである。
「自分はプロサッカー選手としての経験がなかったので、いわゆるトップレベルを知る選手たちから姿勢や考え、知識を得ようと努めました。自分が知らないのであれば、他者から学ぶ。それが自分にとっての財産になると思っていました」
カタールでの活躍は、広く知られるようになっていたのだろう。マチェイ スコルジャ監督がUAEのU-23代表監督に就任すると、フィジカルコーチとして誘われた。
「同胞であるポーランド人として、マチェイさんはベストな監督のひとりだと思っていました。以前からリスペクトしていたので、その方からオファーをもらい、すぐに彼のもとで働きたいと思いました」
マチェイ監督のもとで日本代表と対戦したときには、日本人選手たちの試合に臨む姿勢や組織としての強固さを垣間見て、いつか日本で働いてみたいという気持ちが芽生えた。
「実は2019年の冬に、家族で日本に旅行したことがありました。富士山に行ったのですが、雪で遊んでいたときに、僕は大切な指輪をなくしてしまったんです。2時間近く、辺りを探したのですが、見つからなくて……。施設の人に指輪をなくしたことを伝えたあと、兼ねてから知り合いだった和田一郎さん(現・東京ヴェルディコーチ)にもそのことを話しました」
すると、和田さんはテックコーチにこう伝えたという。
「きっと、その指輪は自分のもとに戻ってくるから大丈夫だよ」
それでもテックコーチをはじめ、家族は半ば諦めていたが、帰国する前日、ホテルの部屋に戻ると、テーブルの上に箱が置かれてあった。開けてみると、箱の中には大切にしていた指輪が入っていた。
「そこに日本という国の魅力がすべて詰まっているような気がしました。それはあくまで一例ですが、日本の優しさ、繊細さ、きめ細やかさ。日本の文化をもっと知りたいと思うのに、十分すぎるきっかけでした」
また、あるとき、家族に「今後、違う国で生活するならばどこがいいか」と聞いたことがあった。すると、子どもたちは迷わず「日本」と答えたという。
「今思うと、そうしたストーリーの一つひとつが、浦和レッズで働くことになるサインになっていたのかもしれません」
人間として、指導者として、尊敬するマチェイ監督が指揮官に就任する浦和レッズからオファーをもらったとき、断る理由はなかった。
フィジカルコーチとして浦和レッズの選手たちと接してみて感じているのは、プロフェッショナルかつハングリーな姿勢だ。
「チームの練習が終わっても、すぐに帰ろうとする選手はひとりもいません。だから、フィジカルコーチとして、ときには『練習をやめて、ピッチの外に出なさい』と伝えなければならないことがあります。
それくらい浦和レッズの選手たちは練習をします。だから、私は選手たちに、(身体を回復させるために)常に『アイスバスに入るように』と伝えなければならないんです(笑)」
そんなテックコーチがフィジカルコーチとして大切にしていることは何か。聞けば、「情熱」と即答した。
「私自身、日本に来て大事なことを再発見し、改めて学びました。何ごとも大切なのは情熱です。日本に来て、あるお店に入ると、ひとりの料理人が30年間も、そのお店を営み、味を守り続けていると聞きました。
その料理も大変、素晴らしく、熱意や情熱、そして気持ちを感じ取ることができました。料理人がその一皿、一皿に愛情と情熱を注いでいるように、自分も選手一人ひとりに対して、今まで以上に愛情と熱意を持って接していければと思っています」
アウェイで戦ったアルヒラルとのAFCチャンピオンズリーグ2022ノックアウトステージ決勝第1戦。53分に興梠慎三が同点ゴールを決め、歓喜する選手たちの輪の中に、テックコーチも混ざっていた。
「自分はいつも選手たちと一緒になって闘っている気持ちでいます。その緊張と興奮が行動になって表れてしまったのだと思います」
情熱的な指導をするテックコーチについて、伊藤敦樹はこう言葉にする。
「テックコーチは毎朝、必ず全員と挨拶を交わしてハイタッチするんです。とにかく明るくて、試合のときも常に僕ら選手を鼓舞してくれる。そういう人がいると、僕らの気持ちも自然とたかぶりますよね」
その情熱が、浦和レッズの選手たちの闘志をさらに刺激する。
(取材・文/原田大輔)