練習後は柔和な笑みを漏らし、気の利いたジョークで周囲の仲間たちを笑わせている。昨季は、ほとんど見られなかった光景である。
2023年シーズンの開幕が近づくなか、真面目一徹だった男はクラブハウスに引き上げてくると、ふと頬を緩めた。
「1年目は借りてきた猫のような感じだったので……。これが本来の姿だと思いますよ。今はリラックスできていると思います」
徳島ヴォルティスから期限付き移籍中だった岩尾憲は昨季終了後、完全移籍に移行し、あらためて正式に浦和レッズの一員となった。
『レンタル』という肩書を気にしていたわけではない。むしろ、クラブ、リカルド ロドリゲス前監督から求められるタスクをこなすなか、考えを巡らせることが多かった。
「シーズンを通し、良いメンタル状態で過ごす時間はそう長くなかったです。個人的には難しい1年でした。考えるべき要素が数多くあって……。
例えば、プロ選手とは、プロクラブとは、どうあるべきか。レッズが期待されていることとは何なのかと。ひとつずつ紐解いていくと、今(そのときの自分)とリンクしない感覚がありました」
少し間を置きながらゆっくりと話す言葉には、“リカルドの懐刀”とも呼ばれた男の苦慮がにじむ。
昨季は内に秘めるエネルギーを思うように爆発させられなかったという。完全移籍のオファーを受けたときも、喜び勇んですぐにサインしたわけではない。
プロフットボーラーとして価値が認められたことはうれしかったものの、クラブとは互いの未来について話し合いを重ねた。
完全移籍のリリースに書き記した通り、『自分の目でみて、自分の耳で聞き、自分の心で感じたこと』をじっくり思い返した。
今年4月で35歳を迎える岩尾にとって、残り少なくなりつつあるサッカー人生をどの場所で、どのように過ごすかは重要だった。
むろん、自らのキャリアプランだけを考えていたわけではない。
「僕の完全移籍が、果たしてレッズの将来にメリットをもたらすのかどうか。互いに描く未来をすり合わせました」
ちょうど人生の岐路に立っているときだ。チームメイトの関根貴大に「阿部(勇樹)さんの本、もう読みましたか?」と聞かれ、すぐにタイトルを確認。直感的に「このタイミングで読んでおくべきだな』と感じ、『僕はつなぐ』をわずか1日で完読した。
「本を読み、人から聞いた話だけですべては分かりませんが、『阿部さんは人ができないことを淡々とやり続けた選手だったのかな』と思いました。結果を求められるレッズでピッチに立ち続けるのは、すごく難しいこと。ケガの痛みもあれば、年齢的なこともあったはずです。
そのなかでチーム状況が悪くなれば、矢面に立って発言し、次の試合で結果を出していました。そして、多くのタイトルを取ってきたんですから。なかなかできないことですよ。類まれな選手だったと思います」
レジェンドと呼ばれる男のメンタリティーは、岩尾の想像をはるかに超えていた。身近にいなかったからこそ遠い存在であり、敬意を払うべきOBだという。
直接、話したことはまだ一度もなく、クラブハウスで姿を見かけても、話しかけられずに遠巻きで眺めている。
「恐れ多くて……。どこかのタイミングでヒザを突き合わせる機会があればいいのですが、僕は話が長くなってしまいそうで(笑)」
ただ、『僕はつなぐ』に込められた思いは、岩尾なりに解釈し、体現していくつもりだ。
レッズの未来をつくっていくひとりとして、偉大な先輩の言葉は心に留めている。
「阿部さんたちがつくってきたレッズの文化、歴史は、今を生きる選手たちが誇りを持って紡いでいかないといけないと思っています」
昨季、霞がかっていたものもずいぶんと晴れた。
ほとんどのことをポジティブに感じ取れ、今季はクラブの変革に関わる者として、意欲にあふれている。
「浦和レッズというクラブの今の立ち位置は、追いかけられる側ではない。追いかける側です。目標達成のために自分たちがどういう振る舞いをすべきかを考え、実行していかないといけない。そこに向かっていく姿勢、プロセスを示したい」
マチェイ スコルジャ新監督が目指すJ1リーグ優勝への道は、平坦でないことは承知の上。プロ13年目を迎えたベテランである。自分にフォーカスするだけでは、勝利に導くことはできないことも分かっている。チームとして、いかに機能させるかが重要になってくる。
「勝つことは簡単ではないけど、大きな成果を出したいと思っています。クラブの未来にフォーカスし、今は良い意味で充実した時間を過ごしています。トレーニングを含めて、意識、こだわりにはまだ改善の余地はあります。もっとプロフェッショナルな集団になっていけるはずです」
成功に近道はない。長いシーズンを戦っていれば、苦しい時期が訪れるかもしれない。
仮に苦境に立たされたとしても、レッズのために死力を尽くすことを心に誓う。
「自分で決めた道だから逃げない。そこに嘘をつかない人間でありたい。責任転嫁はしません。ファイティングポーズを取り続けるのが、僕の役目でもあります。周りはコントロールできませんが、誰も逃げ出さない集団であってほしい。それが目標に到達しようとするとき、自分たちを助けてくれるような気がします」
レッズで2年目を迎える岩尾の覚悟である。苦難を乗り越えて、背中でクラブをけん引してきた阿部勇樹のような存在に近づきたいと思っている。
当然、ピッチでのパフォーマンスありきのこと。ポーランド人監督のもとでも、ボランチとしての役割は変わらない。
持ち味のパスワークはもちろん、勝利のために泥臭く戦っていくという。
「犠牲精神を持ってプレーします。僕は目立つタイプではないですが、『いる』と『いない』では違うと言われるような選手になれれば、と。
目に見えくい価値を高めていきたいです。全員がエゴイストではダメなので、全体のバランスを見ながら、したたかに仕事をしていきます」
遅まきながらJ1で経験を重ねて、円熟味は増すばかり。昨年、OBの坪井慶介から掛けられた言葉を自らに言い聞かせている。『成長に年齢は関係ない』。まだ34歳である。
「結果は約束できませんが、人生を懸けて必死に過ごしたい。最後、フタを開けたときに最高の景色だったらいいですね」
2023年、レッズの未来のために心血を注ぐことで、自らの存在価値を示していく。
(取材・文/杉園昌之)