Jリーグ30周年を記念してスタートした『マイヒーロー』連載。8回目となった今回は柴戸海に登場してもらった。
「誰だろう……」
唐突にヒーローを問われ、柴戸は悩んだ。
悩む理由もあとから判明するのだが、海少年は見るよりもプレーするほうが好きだった。出身地は横浜だから、親に日産スタジアムや等々力陸上競技場、ニッパツ三ツ沢球技場に連れていってもらったが、特定の選手に注目するのではなく、試合全体を楽しむタイプだった。
しばらく悩むと、企画からは逸脱しているものの、ひとりの選手の名前が出てきた。
「海外も含めれば、一番印象的だったのは(デイビッド)ベッカムです」
幼少期は攻撃的な選手だったというから、ベッカムの右足のキックに心惹かれたのかと思いきや……。
「髪型です(笑)」
初めて見たFIFAワールドカップは2002年の日韓大会。ブラジルとドイツの決勝戦をスタンドから見て、リバウドのシュートをオリバー カーンが弾き、ロナウドが押し込んだシーンが脳裏に焼き付いているが、それと同じくらいベッカムの髪型も印象に残っていた。
当時注目され、子どもたちがこぞって真似したベッカムヘアー。第7回では知念哲矢も真似していたと話していたが、海少年もソフトモヒカンにしていたという。
そんな話をしていると、柴戸は突然、浦和レッズにもなじみ深いひとりの名前を挙げた。
「小野伸二さんも好きでした」
ベッカムとは違う。純粋に小野のプレーが魅力的だった。
「当時はやはり攻撃的なプレーに秀でている選手に目が行きましたし、その中でも小野さんのテクニックは凄かったですね」
浦和レッズでデビューし、2002年FIFAワールドカップ日韓大会でも全4試合に先発出場したテクニシャン。攻撃的だった海少年にとって、小野に憧れない理由はなかった。
「あとは誰だろうな……。日本代表では小野さんだけではなくて中田英寿さん、中村俊輔さん、稲本潤一さんの中盤は印象的でしたし、もっと前だと、ビスマルクさんや澤登(正朗)さんはゲームでよく使っていたこともあって覚えています。あとは……」
企画の意図を汲み取り、必死に記憶を振り絞ろうとする柴戸。そんなに悩まなくても……とも思ったが、悩む理由もあった。
「結局、阿部さんなんです」
それは知っているよ。柴戸が阿部勇樹さんに憧れていたことは、おそらくこの記事を読んでいるみんなが知っている。柴戸も苦笑しながら続けた。
「だから、あえて阿部さんの名前は出さなかったんです」
小学生のときに阿部モデルのスパイクを買った。そのおまけだったカードは15年以上も大事に持っていた。
そして2年前、現役を退く直前にサインを書いてもらったそのカードは、柴戸の宝物だ。おそらく阿部にも、海少年が筋金入りのファンだったことが伝わっただろう。
「当時はまだ攻撃的なポジションでプレーしていて、ボランチだったから阿部さんに憧れたわけではないんです。いろいろなポジションでプレーするなか、中央でプレーすることが楽しいと感じてボランチになりましたが、阿部さんと同じポジションでプレーしようと思ったわけでもありません」
幼少期は好きだっただけで、真似しようと思っていたわけではない。
だが、気づけば阿部と同じポジションになり、阿部の出身地である千葉の市立船橋高校に進学した。運命なのか、何かに導かれたように阿部のあとを追い、最終的にはチームメートになった。
「全然狙っていたわけではないんですけどね(笑)。まさか一緒のチームでプレーできるようになるとは思っていませんでした」
ボランチになってからはすっかり阿部に心酔していったが、現実的にプロを意識するようになった頃にもうひとり、リスペクトする選手がいた。
「中澤佑二さんです」
2010年ワールドカップ南アフリカ大会で阿部とともに堅い守備を築いた中澤は、日本代表のベスト16進出に大きく貢献した。ポジションやプレースタイルは異なるが、食事から脂質や糖質、アルコールなどを徹底的に排除して体調管理するなど、ストイックな姿勢を貫いていた中澤の「気持ち」に感化されていたという。
「あとは……髪型です(笑)」
ソフトモヒカンからボンバーヘッドへ。
必要だったのかどうか分からない言い足しでオチをつけた。柴戸自身は、今年のトレーニングキャンプの際に、DAZNで配信されている「やべっちスタジアム」の人気企画、『デジっちが行く!』で見せたオールバックなどにしない限り、髪型で注目を浴びることはなさそうだ。
しかし、監督の要求に応え、ライバルの武器を吸収しながら成長を続ける柴戸に憧れたJリーガーも、そう遠くない将来に出てくるだろう。
まずは今シーズンの後半戦。負傷もあって不完全燃焼に終わった前半戦から巻き返し、『ヒーロー』になるべく全力で準備を進めている。
(取材・文/菊地正典)
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