9月21日。
東京開催の東レパンパシフィックオープンを最後に、奈良くるみが引退した。
最高ランキング32位。WTAツアー優勝1回。
グランドスラム本戦デビューは18歳の全仏オープンで、1か月後のウィンブルドンで初勝利も手にした。
小中学生時代は、国内敵なし。あらゆるタイトルを手にしたかつての“天才少女”は、30歳で競技者生活に幕を引いた。
今回は少し個人的なことも書くのを、お許しいただきたい。
奈良さんがグランドスラム・ジュニア等で活躍し始めたのが、彼女が15歳の頃。
私がテニスを取材しはじめたのも、ちょうどその時分。だから勝手に、一緒に成長してきたような気になっていた。
初めて、「内田さん、この間の記事読みました」と声を掛けてくれた現役選手も、奈良さん。
選手が自分の名前と顔を認識していることに、驚いた。
それは嬉しいことではあるが、同時に、見ている側だとばかり思っていた自分が、実は見られている側でもあると気付かされた瞬間である。
今思えば当然のことだが、そんな道理を教えてくれたのも奈良さんだった。
わたしが彼女に対し覚えたそんな謝意を、きっと多くの人たちも経験してきたのだろう。
彼女の最後の試合には、ファミリーボックスや記者席だけでなく、観客席にも関係者や取材陣たちの顔が多々あった。
「チケット買ってテニス見るの、初めてですよ」
そんな風に笑う声をいくつも聞いた。
試合前日の練習では、10年間師事した原田夏希コーチと組んでの、ダブルス練習という貴重なシーンを見ることもできた。
手前が奈良/原田組。ちなみに相手をつとめたのは、加藤未唯と小原コーチ
引退会見で常に清々しい笑顔だった奈良さんが、原田コーチに言及する時には決まって、涙した。
「クソじじいと思ったことも何度もあったけれど、テニスの楽しさを教えてくれた方。最後まで夏希さんと一緒に終われたのが嬉しい」
可愛い憎まれ口にも、二人の絆が溢れていた。
現役最後の試合はダブルスで、そのパートナーは、同期の土居美咲。
小学生時代から多くの喜怒哀楽を共有してきた盟友は、この数日間で、恐らく本人以上に涙を流した。
試合後にコート上で行われたセレモニーには、同大会に参戦した選手に加え、車いすテニスの上地結衣や、今季限りの引退を表明している尾崎里紗らも駆けつけている。
さらにコートサイドには、12年前に引退した森上亜希子さんの姿もあった。
思えば、森上さんがWTAツアー現役最後の試合で、ダブルスを組んだパートナーが奈良くるみ。
当時の森上さんは、パートナー選出の理由を、「とても伝え甲斐のある後輩。ぜひ最後に組みたかった」と語っていた。
奈良さんはキャリアの全盛期にも、「わたしは、絶対に相手に勝ちたいとはあまり感じない」と口にしたことが幾度かある。「それではダメなのかな」と、微かなコンプレックスを示したことも……。
ただ最終的に彼女は、「応援してくれている人、支えてくれる人たちのためにも、勝ちたい」という自身の原動力に胸を張った。
「本当にまったく、悔いはないです」
そう言い彼女は、笑顔のままにコートを去る。
その背を見送る人々の姿が、奈良くるみというテニス選手の足跡や人物像を、点描画のように浮かび上がらせていた。
奈良くるみ(なら・くるみ)
1991年12月30日生まれ。155㎝の小柄な身体ながら、理詰めの戦術と粘りのテニスで世界の強豪と伍して戦った。
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