【先だって行ったアンケートでは、多くの回答を頂き、ありがとうございます。その結果をもとにした企画。今回は「2020年の印象に残った瞬間、胸アツだったシーン・試合は?」を踏まえた記事をお届けします】
彼女の優勝セレモニーはことごとく、大会史に残るであろう特別な光景に包まれるのだな……。
そんな思いを抱きながら、USオープン女子表彰式をモニター越しに眺めていた。
今年、印象に残った試合やシーンは――?
その問いへの回答で多かったのは、USオープン男子決勝戦の死闘を制した、ドミニク・ティームの勇姿。
そして最も多くの票を集めたのが、同大会女子優勝者の、大坂なおみである。
「アザレンカに第1セット1-6から逆転で優勝した」という、逆境から挽回した決勝戦の試合内容。
さらには、
「黒人差別問題にも立ち向かうひとりの女性としての姿を見せて、さまざまな意見の矢面に晒されながらも結果を出した」
「人種差別の事実をアピールするマスク行動」
など、社会問題に対し声を上げる勇気が人々の心を動かした結果である。
私事で恐縮だが、今年のUSオープンは、この10年で初めて現場に足を運べなかったグランドスラムだった。
厳格なる新型コロナ感染対策をとった同大会は、一部の地元メディア以外は、報道陣の立ち入りも許さなかったからだ。
リモート取材は出来たものの、味気なさは如何ともしがたい。
加えて大坂の試合を実際に見たのは、1月の全豪オープンが最後。そこからの彼女の取り組みや、心身の変化を知る機会もまれだった。
その中で大坂が見せた大きな動きが、コロナ禍でツアーが中断していた6月末に、新たなトレーナーをチームに加えたことである。
トレーナーの名は、中村豊。ストレングス&コンディショニングコーチとして、マリア・シャラポワに6年帯同した実績の持ち主である。
トレーナーの目に映った大坂の葛藤と決意
中村氏の指導哲学は、コミュニケーションを密にとり、選手の人間性を把握することにある。
そのプロセスで中村氏が感じた大坂の個性や特性を、取材を通じ聞かせてもらう機会が、幸いにも幾度かあった。
「アスリート能力という意味では、彼女はテニス界で五指に入る」
そう明言することを、中村氏はためらわない。
ただ大坂本人が、その能力を出し切れていないことにジレンマを覚えているのだろうと、中村氏は感じたという。
「彼女自身、常に結果を求められるポジションにいる状況下で、思うようなパフォーマンスが出せなかったりと、空回りしていた部分もあったと思います。
コロナで自分と対話する時間もあるなかで、靴紐を締め直し、もう一回初心に戻ってやりたいという気持ちが出てきたのかもしれない。その時に、違う声を求めていたのだと思います」
だからこそ、自分が呼ばれたのだろう――大坂から伝わる向上心は、中村氏のモチベーションにもなっていた。
新トレーナーと築いた“ルーティーン”を踏襲し、コートに向かい続けたUSオープン
USオープンで、人種差別に起因する被害者の名が入ったマスクを着けコートに立つ大坂の姿は、メディアやSNSをも賑わした。
実世界の静寂とネット世界の喧騒が入り乱れるなか、大坂は中村氏と築いたウォームアップのルーティーンを、淡々とこなしながらコートに向かっていたという。
ルーティーンは、決まった動作の繰り返しでありながら、意識面では毎回異なるという矛盾をはらむ。
「試合当日は、まず45分くらい、そして試合に入る前にもう一度30分くらいアップをする。ほぼ同じことの繰り返し。ですが、対戦相手によって何を意識するかは異なります」と中村氏は説明する。
それは初戦の土居美咲戦から、決勝戦のアザレンカ戦まで変わることのない、試合前の静謐な時間。
その時を7度重ね、彼女は2年ぶりにUSオープンの頂点へと登りつめる。
「王者としての地位を決定的なものにした一戦。今後の新時代の到来を予感しました」
「いろいろなものを背負って、それでも優勝。最後にコートに仰向けで横になる姿は、印象に残った」
種々の重圧から解放された勝者の姿は、新時代の到来をも見る者に予感させた。
2年前と対象的なセレモニーが浮き彫りにする大坂の進化
無観客の中で行われるセレモニーに、USオープン特有の華やぎや喧騒はなく、淡々と時間は流れていくようだった。
その様相をモニター越しに見ながら思い出したのは、2年前の、あまりに異様な優勝セレモニーの記憶。
大坂と決勝を戦ったセリーナ・ウイリアムズが、主審に罵詈雑言を吐いたため“ゲームペナルティ”を課され、それを不服とした観客がブーイングし続けた、前代未聞の式典だ。
2万人の負の感情が怒号となり、スタジアムを震わせる、あの空間の異常さは忘れがたい。
もはやブーイングしている者も何が目的か分からず、自分の望む物が見られなかった幼い不満を、ただ発散しているだけのように感じられた。
ただ……
「I am sorry」
その一言を大坂が絞り出した時、空気が一変する。
当時20歳の優勝者の涙を見た時、皆が我に返り、会場を満たす感情が変わったのは明らかだった。
それから2年――。
自らの声で世界を変えようと戦い続けた大坂は、自身の行為に胸を張るかのように、センターコートで銀杯を高々と掲げた。
【内田暁「それぞれのセンターコート」】