FC東京戦の前日(11月26日)、沢田謙太郎監督の表情がさっぱりしているのが気になった。
「髪を切りました?」
「あ、そうなんですよ」
光の関係で白髪が紫がかって見える監督の髪は確かに短くなっていた。
「床屋さんがかなり気合いを入れて、切ってくれました(笑)。まあ、髪の毛があるだけでも喜ばなければいけない年になっていますから(笑)」
指揮官は笑った。その表情は、現役・コーチ時代と全く変わらない。
試合前日のミーティング風景。就任直後の鹿島戦前日(11月2日)には、記者たちが見ている前で18人のメンバーを発表してしまい、広報から注意されたことも。そういう事情もあり、ミーティングは報道陣のいないバックスタンド側で行われる(11月19日撮影)
練習でも試合でも大きな声で選手を励まし、結果に対して全ての責任を背負う。ミヒャエル・スキッベ新監督就任を発表され今季限りでの退任が決まっても、常に笑顔は崩さない。監督になっても変わらない兄貴分的な優しさを、選手たちは慕う。
就任後、4試合で1分3敗。結果が出ない現状でも佐々木翔は「監督が志向していることは、ある程度はできている」と語り、野上結貴は「全員でゴールに関わるプレーは、謙太郎さんになってから練習でやっていること」。指揮官に対する信頼は揺るがない。
「もっと強いボールを蹴らないと。藤井のようなボールじゃ(ゴールには)入らないよっ」と指揮官は叫ぶ。優しさと厳しさが同居しているのも、情熱家・沢田謙太郎らしい(最後にチラリと映っているのが監督。11月18日撮影)
その要因は、沢田謙太郎という男の人間性にある。
例えば、7日の湘南戦、退場処分を受けた柴﨑晃誠に対して真っ先に駆け付け、肩を叩いて励ました。
FC東京戦前の24日には、練習中に行った守備の戦術説明後に選手たちから出た様々な提言に呼応して急遽、ミーティングを開催。「意見が出やすいように」とあえて人数を絞り、一方通行にならないように配慮した。指揮官の選手に寄り添う姿勢に、藤井智也は「監督のために走りたい」と決意する。
寂しい逆転負けを喫したFC東京戦(11月27日)の後、記者会見に出席した塩谷司に「最終節は故郷・徳島での試合になりますが」と質問が飛んだ。
塩谷は厳しい表情で、こんな言葉で返した。
「謙太郎さんに勝利を贈って、一緒に喜び合いたい。その想いだけです」
メディカルスタッフとの情報交換。選手はもちろん、スタッフとのコミュニケーションも欠かさない(11月18日撮影)
12月4日の対徳島戦は、沢田謙太郎にとって監督ラストマッチ。選手たちは指揮官と共に全力で勝利を目指し、有終の美を飾る。
沢田謙太郎(さわだ・けんたろう)
1970年5月15日生まれ。神奈川県出身。1993年、中央大から柏に加入。JFL新人王とベストイレブンに輝く。1995年、日本代表に選出。1998年オフ、柏との契約が満了となり、広島に移籍。突破力だけでなく最終ラインに戻っての守備意識も高く、エディ・トムソン監督(当時)が「日本最高の右サイドバック」と高く評価し、重用した。2003年に引退し、翌年から広島で育成年代の指導に注力。2019年からトップチームのヘッドコーチ。2021年10月26日、サンフレッチェ広島第14代監督に就任。
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