激しいボール保持(ポゼッション)のトレーニングの合間に、沢田謙太郎新監督が言葉をジュニオール・サントスに向けた。新監督就任5日目となる10月30日の出来事だ。
ジュニオール・サントスに対しての指摘だったが、これは全員に対するメッセージ。練習終了後、沢田監督は選手全員に「あれはみんなに対して言ったこと。できるようになればそれは成長だし、サッカーがもっと楽しくなる」と語った(10月30日撮影)
「ジュニオール、(ぶつかられたって)倒れちゃダメだよ。もし(身体を入れられて)ボールをとられても、倒れずに頑張って追わないと。藤井もそうだけど、ちょっとでも身体を寄せて触って誰かにボールを預けるとかルーズボールにしてしまうとか、ギリギリのところまでやるんだ」
藤井智也に対しても厳しく指摘する。その藤井は沢田監督がコーチ時代、ずっとクロス練習に付き合ってくれたことを恩義に感じており、「沢田さんのために闘う」と語った(10月30日撮影)
沢田監督は実は、戦術的な要求も細かい。実戦練習でも立ち位置やマークの受け渡しなど、具体的な指示を与えていた。だが、彼の根本にあるものは、現役時代の次のプレーに凝縮されている。
1999年12月26日に行われた天皇杯準決勝、対V川崎(現東京V)戦前半30分の場面。右サイドで先発した沢田を「パリッ」という音と共に強烈な痛みが襲う。
時折、大きな声で選手たちを鼓舞しつつ、笑顔で練習を見守る新監督。「魔法の練習はない。1㎝でも1㎜でも、昨日よりもできるようになるということでしかない。でも、それが大切」と練習の意義を語る(10月30日撮影)
「肉離れだ」
直感したその瞬間、当時18歳の森﨑和幸からパスがくる。
「なんとかしなきゃ」
足を引きずりながらボールを運び、絶妙なヒールパス。ボールを受け取って藤本主税が同点弾を決めた時、沢田はもう立つこともできなかった。
一段とボリュームがあがった沢田監督の「転ばないよっ」の叫びに呼応し、選手たちは再び、トレーニングに集中する(10月30日撮影)
だが、沢田の魂を受け継いだ広島の選手たちは、V川崎を7-2で粉砕して決勝進出を決めた。こういう実績を持つ男が言う「倒れるな」には、千金の重みがある。
1999年、柏から広島に移籍してきた沢田謙太郎に対し、当時のエディ・トムソン監督は彼の闘志と戦術眼を評価し、「日本最高の右サイドバック」と称えた。あれから22年。広島で引退し、広島で指導者となった沢田謙太郎新監督は、紛れもなく広島の誇りである。
沢田謙太郎(さわだ・けんたろう)
1970年5月15日生まれ。神奈川県出身。1993年、中央大から柏に加入。JFL新人王とベストイレブンに輝く。1995年、日本代表に選出。1999年、広島に移籍。2001年には右サイドだけでなくボランチとしても活躍し、2003年に引退。2004年から広島の育成組織でコーチとなり、2009年からはジュニアユース監督として野津田岳人や川辺駿、宮原和也らを育成。2015年からはユースの監督に就任し、大迫敬介や東俊希らをプロに送り出した。2019年からトップチームのヘッドコーチ。2021年10月26日、サンフレッチェ広島第14代監督に就任。
【中野和也の「熱闘サンフレッチェ日誌」】