「今年の5月から、正式にプロになりました」
リュー理沙マリーからそう聞いたのは、5月上旬、岐阜市開催のカンガルーカップでのことだ。
沖縄尚学高校時代に高校総体ダブルス優勝などの実績を残し、奨学生としてアメリカの大学に進学。
その彼女が、プロの道を歩み始めていた。
カンガルーカップで、第1シードの清水綾乃を破ったリュー(奥)。鋭いリターンと多彩な技が冴えた
リューがテニスを始めたのは、まだ物心もつかないころ。
米軍基地で働くカナダ系アメリカ人の父親の手ほどきを受け、兄と共にラケットを握った。
子どもの頃から小柄だった彼女が磨いたのは、「リターンとドロップショット」。
相手の時間を奪う戦略性とテクニックが、幼少期から変わらぬ彼女の生命線だ。
父親の子供への願いは、一貫してプロだったという。
兄がテニスを離れてからは、一層、妹にその情熱は向けられたのかもしれない。
ただ当の本人は、「高校を卒業した時、プロでやっていける自信はなかった」と打ち明ける。
アメリカの大学進学を決めたのは、「自分で考える時間が欲しかったのと、英語を上達させたかった」からだ。
文武両道が大前提のアメリカのキャンパスライフは、「目が回るほどに忙しい」ながらも、充実した日々。
だが最後の年のリーグ戦は、コロナ禍により中断したまま、卒業の日を迎えた。
「やりきれない気持ち」を抱えながらの、沖縄への帰郷。
ところが故郷に戻ってくると、周囲は「理沙はプロになるんだよね」という華やいだ雰囲気に包まれていたという。
そんな空気が、心地よかった。「沖縄に戻って、心が回復した」とも感じていた。
「沖縄のためにプロになるというのを、モチベーションにしようかな」
そのとき自然に、そう思えたという。
母親にも「本当にあなたは沖縄が好きね」と半ば呆れられるほど、彼女の郷里への思いは熱い。
その郷土愛の源泉は、「自分がハーフだからなのかも」と彼女は明かす。
「子どもの頃の練習も、父親と基地でやっていた。だから、みんなと一緒になりたいという気持ちが強かったんだと思います」
人生で「最も充実した日々」と述懐する高校時代の親友や仲間たち、そして今も支えてくれる恩師たち――。
プロになることで、それら大好きな人たちに恩返しをしたい、故郷の人々に笑顔を与えたい——それが、彼女の願いだ。
今回の取材を終えたときのこと。
大会会場でスタッフとして働く学生が、リューに「一緒に写真撮らせてください」と声をかけてきた。
「僕、名護出身なんです!」と彼は笑う。
彼女の夢の種は、早くも芽吹き始めていた。
リュー理沙マリー(Lisa-Marie Rioux)
1997年5月1日、沖縄県うるま市出身。沖縄尚学高校時に単複で活躍し、卒業後は奨学生としてミシシッピー州立大学に進学。1年生終了時に、より良い環境を求めてオクラホマ州立大学に転校した。在学時代から徐々に国際大会にも出場し、今年2月には国際テニス連盟(ITF)の下部ツアーでダブルス優勝を手にした。