目の前を横切るボールを追う彼女は、「もー!」と声をあげながらも、その顔は笑っていた。
車椅子部門の、女子決勝戦。過去33度も対戦を重ねる宿敵ディーダ・デグロートと戦う上地結衣は、ウイナーを決められるも、笑みをこぼしていたのだ。
決勝戦の上地結衣。試合には敗れたが、両者ともに認める、かつてないハイレベルな戦いだった
その上地の姿を見て、フラッシュバックのように思い出す光景があった。
大坂なおみが今大会の準々決勝で、シェイ・スーウェイと対戦した時。ウイナーを決められた大坂は、やはり「ふふふっ」と笑い声をあげたのである。
試合後の大坂にその理由を聞いたところ、次のような答えが返ってきた。
「クロスに打てば彼女にウイナーを決められると分かっていたのに、いとも簡単にやられたものだから、思わず笑ってしまったの。相手に決められてもイライラしなかったのは、状況をとても明確に見ることが出来ていたから。ある人が、『憤りは現状の不理解から生まれる』と教えてくれた。今日の私は、状況が良く見えていた」
その大坂の言葉を思い出しながら、決勝戦で惜敗を喫した上地にも、同じ質問を投げかけてみた。
返ってきたのが、次の説明。
「(相手のプレーの)イメージがありながらも、パワーに押されたり、自分のポジショニングが良くなかったりで取られてしまった。自分のイメージから外れた点はなかったんですが、そのなかで彼女が質の高いプレーをしていたので」
大坂の笑顔の理由と、ほぼ一緒。さらに驚いたのは、上地が続けた次の言葉だ。
「分かっていたのに出来なかったことはありましたが、終始、なんでポイントを取れないか、なんでこういう状況になっているのか分からないというのはなかったので、フラストレーションはなかったです」
ともに複数のグランドスラムタイトルを持ち、世界のトップで凌ぎを削る二人が奇しくも、同じような笑みを見せ、その背景にある同じ思想を明かしたのだ。
返ってくる言葉を予測できていなかった未熟な質問者も、笑みが溢れたのは同じだった。
上地結衣(かみじ・ゆい)
1994年4月24日、兵庫県出身。11歳の頃から車椅子テニスを始め、2014年の全豪オープンでダブルス、シングルスも同年全仏で初優勝し、世界ランキングも1位に。俊敏な車椅子さばきと、左腕から放つ多彩なショット、そして高度な戦略性が武器。
【内田暁「それぞれのセンターコート」】