(写真:アフロ)
「優真くんは日本人選手が4回転を当たり前のように跳ぶ姿を見て育ってきています。彼はこれからの日本フィギュアスケート界を背負って立つ男だと思います」
そう語るのは、フィギュアスケート評論家の佐野稔さん。
フィギュアスケート世界選手権で初出場ながら銀メダルに輝いた鍵山優真選手(17)。フリープログラム終了後に自己得点を確認すると傍らにいた実父でコーチの鍵山正和さん(49)と握手を交わした。
鍵山選手のスケート歴は12年。’92年アルベールビル、’94年リレハンメルと2度も五輪に出場した正和さんは当時、富山県で暮らしており、5歳になる息子を専属インストラクターとして勤めていたリンクに連れていったのだ。
「並外れた膝の柔らかさによるスケーティングの伸びや力強さなど、優真くんのスタイルはどんどんお父さんに似てきています」(前出・佐野さん)
鍵山選手にとって、父の現役最後の試合となった’94年3月の世界選手権の映像は宝物のようになっているという。彼はインタビューでこう語っている。
《美しいというより、迫力ですね。父は『恥ずかしい』と言って一緒に見ることはないんですけど(笑)》(『Number』’19年12月号)
正和さんには離婚歴があり、シングルファザーとして鍵山選手を育てたという。父ひとり子ひとりの生活は、2人の絆を強めていったが、かつての鍵山選手には、父への“甘え”もあったようだ。
■「僕が頑張ればお父さんの病気も…」
スポーツ紙記者は次のように語る。
「家事もお父さんがすべて担当しており、朝練のときもお父さんに起こしてもらっていたそうです。しかし鍵山選手が中学3年生だった’18年に試練が訪れました。正和さんが脳出血のために入院してしまったのです」
それまで練習も父の言うとおりにこなしていればよかった鍵山選手も変わらざるをえなかった。
「お父さんに指導してもらったことを思い出しながら、自分で練習メニューも考えて滑るようになったそうです。練習中の動画を病床のお父さんに送って、アドバイスをしてもらう日々が続きました」
鍵山選手を支えていたのは父への思いだった。当時の彼はこう語っていたのだ。
「僕が頑張れば、お父さんの病気も治りますよね」
半年後に退院した正和さんは、たくましくなった息子の姿に驚いたという。
「いまも正和さんはリハビリを続けており、今回の世界選手権後に帰国する際の空港では、鍵山選手が車いすを押していたのです」(前出・スポーツ紙記者)
“自分が活躍すれば父の力にもなるはず”……、北京五輪出場を目指す鍵山選手の滑りには、感謝と願いが込められている。
「女性自身」2021年4月20日号 掲載
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4月2日、夏目三久アナ(36)との結婚を発表した有吉弘行(46)。直筆のメッセージで《この度 私達 有吉弘行と夏目三久は令和三年四月一日に結婚いたしました》と報告した有吉。夏目も《有吉さんと夫婦になり、この上ない喜びと幸せを感じております》とコメントした。
2人はなぜ、今回のタイミングでゴールインしたのか。
10年前の’11年4月に『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日系)で共演し、互いに好意を抱くようになっていった有吉と夏目。熱愛発覚当初は、2人が隣同士のマンションに引っ越したと報じられた。だがさらにその後、2人の仲はひそかに進展していのだ。
「実は3年ほど前からすでに同棲し始めていたのです。ほぼ事実婚のような生活で、いつゴールインしてもおかしくない状態でした。
ただ夏目さんはTBSの情報番組『あさチャン!』や日本テレビの報道番組『真相報道バンキシャ!』でMCを務める人気キャスター。有吉さんもレギュラー番組を13本も持つ超売れっ子ですし、後輩芸人に慕われているので明け方まで飲みに行くことも少なくありませんでした。そのため、すれ違いも多かったそうです」(芸能プロダクション関係者)
同棲したものの、結婚には至らない。そんな秘愛生活が長年続きながらも破綻をきたさなかったのは、有吉の貫いてきた“美学”があったからだ。
本誌’13年8月20・27日合併号では、有吉と夏目とマツコ・デラックス(48)による“怒り新党メンバー特別座談会”を実施。そこで“有吉にふさわしい女性”について、こんなやりとりがあった。
《マツコ:いや、この人誰でもいいと思うよ
有吉:うん。俺もそう思う! 結局、僕は誰でも一緒だと思います
マツコ:結局、この人が合わせるのよね、どうせ》
■「最近、チリビーンズを作っているんだ」
この有吉の「結婚や恋愛は俺が相手にすべて合わせるという姿勢」が、夏目にとって大きな意味を持っていたようだ。前出の芸能プロダクション関係者がこう語る。
「夏目さんは、意外にもこだわりの強いタイプ。特に『食の趣味が合わない人とは付き合えない』と語るほど、食事の相性を大切にしているんです。だから我の強い人と付き合うと、ぶつかることも多かったといいます。
その点、有吉さんは相手の意見を尊重するタイプ。実際、最近では発言にも変化があったそうです。たとえば『料理は必ずお皿に取り分ける』というこだわりをみせたと思えば、『最近、チリビーンズを作っているんだ』と語り始めたり……。マツコさんが『あなた、そんな人だっけ?』とツッコミを入れるほどの変心ぶりでした。
さらに同棲についても、夏目さんが生活スタイルを変えなくてもいいように配慮。有吉さんが、彼女のマンションへと引っ越す形にしたそうです。率先して寄り添ってくれる姿勢に、夏目さんはとても感謝していました」
そしてコロナ禍で外出を自粛したことが、決め手となったという。
「ステイホーム期間中は有吉さんも外で飲み歩くのではなく、家で晩酌するようになりました。また夏目さんも外での仕事が減り、自宅にいる時間が増えました。その結果、今後についてじっくり話し合う機会ができたようです。
最近、有吉さんは将来について話すことが増えていたといいます。事務所とも半年前くらいから、いろいろと相談をしていたみたいですから。周囲でも『何か心境の変化でもあったのかな』と噂になっていました」(お笑い関係者)
冒頭のコメントのなかで、有吉はこう続けていた。
《お世話になっている皆様方にもっと笑っていただけるようこれまで以上に精一杯頑張っていきたいと思っております》
最愛の伴侶とともに、有吉はさらなる飛躍を誓う――。
「女性自身」2021年4月20日号 掲載
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’87年放送の『仮面ライダーBLACK』と翌年に放送された『仮面ライダーBLACK RX』(毎日放送)で、主役を演じた倉田てつを(52)。彼が4月3日に17LIVEで配信した動画での発言が、ファンの間で物議を醸している。
奇しくも同日は、’71年に『仮面ライダー』が放送されて50周年にあたる記念日。歴代の出演者たちが、SNSなどで続々と祝福コメントを寄せている。さらにシリーズ作のリバイバル上映も予定され、白石和彌監督(46)のもと『仮面ライダーBLACK SUN』の制作も発表されたばかり。
倉田も祝辞を寄せるものと思われたが、そうではなかったようだ。
倉田は動画で、「俺は仮面ライダーの話は好きじゃないから」と一蹴。続けて、「50周年って言われてもね」「俺、仮面ライダーじゃねえし」などと述べた。そして最後は、「たまたま昔ライダーやってたっていうだけ」「仮面ライダーあんま好きじゃないから」と締めくくったのだ。
この“放言”にファンからは、「ガッカリした」と非難の声が続出している。
《倉田さん、何言ってるの? 仮面ライダー好きじゃないって? 信じてる人たくさんいるんだよ。もう幻滅した》
《内心思うのは勝手だけど、その発言を何故よりによって仮面ライダー生誕50周年という節目の年に投下するのか……その神経を疑う》
《失望して倉田てつをと彼が演じてるBLACKのファンをやめたわ》
■店には仮面ライダーBLACKの等身大フィギュアが
現在はステーキ店のオーナーでもある倉田だが、そこで「仮面ライダー」は重要な存在となっていたはずだった。
本誌は今年2月、倉田に「BLACK」の等身大フィギュアを作った造形作家のAさんを取材。その経緯について、Aさんはこう語ってくれた。
「知人の紹介で’15年に彼のトークショーへ伺ったとき、『造形作家です』と名乗ったらいきなり『仮面ライダーBLACKの等身大フィギュアを作れますか』と依頼を受けました。そこで『作れますが、店に置くなどしたら営利目的になるからダメです。自宅に置いて個人で観賞するだけなら』と答えたのです」
Aさんは「商業利用しない」という条件のもと、’18年に「BLACK」の等身大フィギュアを制作。しかし倉田はその約束を破り、3年間も店に飾り続けていた。今年2月に行われた開店13周年の記念イベントでは、倉田がAさんのフィギュアと一緒に映ったステッカーが会計後に配られていた。
倉田から裏切られたAさんは、こう憤っていた。
「本来はプライベート扱いのはずが、倉田さんの店の客集めにフィギュアが利用されているわけで、違法行為になります」
昨年11月6日に配信された『魂ウェブ』のインタビューで、倉田は「BLACK」への思いをこう語っている。
「ステーキハウスを開業したら『BLACK』のファンの方々が大勢来てくれて、当時の感想や再演の希望を僕に伝えてくれるんですよ。そのような声を直接耳にする機会が増えたことで自分の中でも心境の変化が起こり、仮面ライダーBLACK=南光太郎であり続けるのは自分の宿命と思えるようになりました」
「BLACK」の恩恵を受けていながらも、まさかの“放言”。支離滅裂ともいえる倉田に、ファンたちは気持ちを踏みにじられてしまったようだ。
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実業家・前澤友作氏(45)との“2度目の破局”が報じられた剛力彩芽(28)。20年4月に復縁が伝えられてから、わずか1年という短期間の交際となった。
「破局の原因は、2人のすれ違いだといいます。剛力さんが女優業に勤しむいっぽう、前澤さんが進めているのは困窮者を救うための“お金贈り”。また前澤さんが以前から計画している宇宙旅行についても、剛力さんは難色を示したそうです。
もし行くとなれば、剛力さんは準備のために仕事を休む必要性も出てきますからね。前澤さんは今年3月に同乗者を8名も募っていましたが、剛力さんはようやく『行かない』と決断したのでしょう」(スポーツ紙記者)
剛力が前澤氏と最初に交際を報じられたのは、18年4月。19年11月に破局が明らかになったが、剛力には未練が残っていたという。
19年12月10日放送の『Skyrocket Company』(TOKYO FM)では、「形としては終わってますけど、私の気持ちとしてはまだ残ってます」とコメント。同日に放送された『グータンヌーボ2』(カンテレ)でも、「めちゃくちゃタイプなんですよ。顔も大好きなんで一目惚れですね」などと語る一幕があった。
■一度目の破局後は“恋愛禁止宣言”をしていた
未練を滲ませていた剛力だが、いっぽうで女優業への再起を図っていた。19年の大みそかの夜、本誌は剛力を目撃。そこには「恋愛禁止」と刺繍されたポーチバッグを持ち、芸能人が集うバーへ向かう彼女の姿があった。
「剛力さんは前澤さんとの交際で、感情の浮き沈みが激しくなることがあったといいます。そのことから、『周囲に迷惑をかけてしまった』と深く反省。失恋したことで心機一転し、女優業に邁進することを決意したのです。世間を騒がせたこともあり、仕事関係者には『恋愛は封印して、全力で仕事に取り組みます』と謝罪行脚を行っていました」(芸能関係者)
そんななか20年1月30日に、前澤氏の“お見合い企画”が「個人的な理由」で中止となった。そして同年4月には、『週刊文春』によって剛力との復縁が報じられたのだ。さらに同年8月には「オスカープロモーション」を退社し、個人事務所「ショートカット」で芸能活動を続けると発表した剛力。
現在の地上波レギュラーは、『奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビ系)のみ。独立後に初めて出演したドラマ『彼女のウラ世界』(フジテレビTWO)も、3月26日に最終回を迎えた。
独立して7カ月が過ぎたが、今回の破局報道は仕事に影響を及ぼさないのだろうか。
「現時点での予定は、映画『お終活 熟春!人生、百年時代の過ごし方』が5月に公開を控えているくらい。しかし、それも元事務所から受け継いだ仕事だといいます。剛力さんが社長を務める個人事務所は、彼女以外に社員はいないといいます。前澤さんのバックアップもささやかれていましたが、破局によってそれも見込めなくなるでしょう。
昨年以降、大手事務所から独立する芸能人が相次いでいます。フリーで活動するにあたって、仕事関係者やファンとの信頼関係はいっそう大切になります。いっぽう、剛力さんは“恋愛禁止宣言”をした後、すぐにヨリを戻しました。女優として身を立てる意思は強いようですが、このような“言動のブレ”があると周囲に不安を与えてしまいます。まずは“冷静な判断ができなくなるほどの恋愛体質”から脱却することが必要なのではないでしょうか」(前出・芸能関係者)
剛力が目指す“女優再起”に、暗雲が立ち込めないことを祈るばかりだ。
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理想の夫婦と呼ばれてきた2人だが(写真:アフロ)
家具や衣料品などを詰め込んだ段ボール箱が、次々と4トントラックに積み込まれていく……。
3月下旬、本誌は離婚騒動の渦中にある福原愛(32)が東京都内の一軒家から荷物を運び出し、退去する姿を目撃した。4月1日に『週刊文春』が、福原の“横浜デート”のお相手が既婚者であったことを報じる直前のことだった。
福原を知る卓球関係者は“極秘退去”について次のように語る。
「引っ越した自宅は、週刊誌で報じられた男性との2泊3日のデートで2日目に宿泊した場所。床面積は100平米ほどの2階建ての一軒家で、4~5年前に1億円ほどで購入していました。福原さんは『部屋はいくつもある』と不倫関係を否定していましたが、さすがに住みづらくなったのでしょう。ローンも完済前でしたが、今後仕事のオファーもほとんどないでしょうし、経済的にも厳しいのだと思います」
恋に仕事、そして自宅も失ってしまった福原。彼女を取り巻く状況は“厳しい”の一言に尽きるようだ。 台湾文化に詳しい、台湾ガイド・通訳手配センター社長の山崎肇さんはこう語る。
「台湾の新聞は“夫の江さんは2人の子供の親権を愛さんに渡す気がない”と、報じています。実際に台湾で親権を争った場合は男性が有利です。さらに未成年者は、父親の許可がないと、国外に連れ出すこともできません」
長女は3歳、長男は4月3日に2歳の誕生日を迎えたが、福原が台湾に戻ったという情報はない。
「台湾では“跡継ぎ”の男の子はとても大事にされます。愛さんが台湾に来て対面するのはともかく、子供たちを日本で育てるのは不可能なのです」
■夫はインスタに真っ黒な画像を…
福原に苦境を打開する道はあるのだろうか? 福原を知る卓球関係者は、彼女に“夫との復縁”を勧めたいという。
「日本に残っていてもCMやテレビ番組出演などの仕事は見込めません。もう台湾に帰るしかないと思います。愛さんは、江さんからモラハラを受けたことを主張しているようです。そんな夫に頭を下げるのは彼女にとってつらいことだと思いますが、元のサヤに収まることで、再び子供たちといっしょに暮らすことができますからね」
だが前出の山崎社長は、“復縁”という道も難しいと判断しているという。
「江さんが住んでいる台湾南部は保守的な考えが強い地域なので、“男のメンツ”も重要視されています。百歩譲って、江さんが愛さんの謝罪を受け入れたとしても、息子のメンツを丸つぶれにされた江さんのお母さんが許すとは思えません……」
妻のデートの相手が既婚者だったという報道を、夫はどう受け止めたのだろうか。
「報道後のインスタグラムに投稿された写真に、真っ暗な画像もあったことから、現地では『江の精神状態は大丈夫なのか』と、話題になりました。彼の所属事務所は“黒い画面は星空”と説明していますが……」(台湾在住の日本人ジャーナリスト)
福原にとって“希望の光”は残っているのか、それとも行く末は真っ暗なのか……。
「女性自身」2021年4月20日号 掲載
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3月上旬、都内で愛犬を散歩させる木村拓哉(48)の姿があった。常に芸能界の第一線で活躍する木村。つかの間のひと時を愛犬に癒されていたのだろうか。
そんな木村について、「実は木村さんは3年ほど前から話が来ていた、アメリカで制作される大作ドラマシリーズの主演オファーを正式に断念したんです」と教えてくれたのは、海外事情に詳しい映像関係者だ。
「題名は『将軍 SHOGUN』。イギリスの小説が原作で、17世紀の日本が舞台。漂着したイギリス人航海士と日本の戦国大名が、戦乱の世を生き抜くさまが描かれます。’80年にもアメリカでドラマ化され、三船敏郎さん、島田陽子さんらが出演しました。当時、全米視聴率は最高36.9%を記録。いまや伝説の作品といわれています。今度のリメーク版は戦国大名の視点を掘り下げるそうで、そこで主演として木村さんに白羽の矢が立ったのです」
木村といえば、’04年には香港映画、’09年にはフランス映画に出演。また、’17年の主演映画『無限の住人』はカンヌ映画祭で上映も。
「『無限の住人』はアメリカやヨーロッパ各国などでも公開。同作を手掛けたのは著名なイギリス人プロデューサーですが、木村さんを絶賛し“彼は次世代の三船敏郎になるかもしれない”なんて言っていましたよ」(映画ライター)
そしてまさに、“ネクスト三船”を象徴するかのように『将軍 SHOGUN』の打診が来たのだ。
「自身初の海外ドラマ主演。国際派スター三船敏郎さんの背中を追いかけるべく、木村さんも撮影開始に向けて気合が入っていたと思います」(前出・映像関係者)
しかし撮影計画は大幅に変更されていったという。
「新型コロナウイルスの影響が大きかったといいます。それでもなんとか今夏からの撮影開始は決まりましたが、木村さんのスケジュール調整が困難に。やむなく昨年末ごろ、木村さんサイドが辞退を申し出たそうです。代役は浅野忠信さん(47)で調整中と聞きました」(前出・映像関係者)
問題となったのは長い拘束期間。
「ドラマは10話にわたり、撮影地は日本やアメリカ、カナダ。撮影期間は1年をかけるといいます。近年、木村さんは主演作品が好評で、続編含めオファーも続々。このドラマを受ければ、ほかの日本作品にはほとんど出られなくなってしまうため、泣く泣く出演をあきらめたそうです。リメーク版はアメリカに加え、ヨーロッパやアジアでも放送予定でした。木村さんも無念の思いでしょう」(前出・映像関係者)
待望の全米進出が“挫折”を余儀なくされた木村。冒頭の散歩中でも鋭く前を向くその視線は、再び訪れるチャンスを狙っているのかもしれない――。
「女性自身」2021年4月20日号 掲載
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4月5日、脚本家の橋田壽賀子さんが亡くなったと発表された。95歳だった。各メディアによると急性リンパ腫治療のため、東京都内の病院に入院していた橋田さん。熱海市内の自宅に戻った後、4日に息を引き取ったという。
橋田さんは、脚本担当した’83年の連続テレビ小説『おしん』(NHK総合)が最高視聴率62.9%という驚異的な数字を記録。さらに’90年にスタートした人気ドラマシリーズ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)は、20年にわたってお茶の間で愛される作品となった。15年には文化功労者に選ばれ、昨年には文化勲章を受章している。
そんな橋田さんは生前、本誌にたびたび登場していた。’10年10月、『渡鬼』の新シリーズを控えていた橋田さんは当時85歳。「元気でいなきゃいけないから、毎週4日間泳いで、3日間トレーニングジムに通っています」と元気の秘訣を明かし、“まだまだ現役”と奮起していた。
しかし、その4年後となる14年6月。ドラマ『なるようになるさ。』(TBS系)の視聴率不振から「絶筆するのでは」との情報が。そこで本誌が取材を申し込んだところ、橋田さんはこう明かした。
「引退は、したいですよ。でも、させてもらえないでしょうね。シリーズものはやりたくない? はい、そうですね」
そのいっぽうで「『やれ』と言われたら、やりますよ。『渡鬼』スペシャルも年内には仕上げなければなりません」ともコメント。絶筆願望を抱えながらも、“周囲の期待になんとか応えなければ……”という葛藤がうかがえた。
さらに’15年7月には、終活を始めたとも明かしていた。’89年に夫と死別して以降、1人で過ごしてきた橋田さん。本を熱海市の図書館に、そして「山のようにあった」というメガネは発展途上国を送る団体に寄付。洋服やアクセサリーもリサイクルショップに持っていったといい、終活ノートをしたためているとも明かした。
当時、橋田さんはこれまでの人生を回想し「本当に恵まれていたと思います」と感慨深げ。そして、こう続けていた。
「日本がいちばんいい時代にテレビの仕事をさせていただいて、その時代、その時代に自分が書きたいと思ったものを存分に書かせていただきました」
「私生活もそれはありがたい人生でした。『あれがあったらよかった』『あの人と結婚すればよかった』ということは皆無です」
思う存分生き、この世を去った橋田さん。今は、安らかに眠っていることだろう。
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飲み会発覚後、即座に取材した厚労省の田村大臣(写真:時事通信)
「省内は怒りを通り越して呆れています。4人以内で21時終了なら何の問題もなかったのに……」
こう悔しさをにじませたのは、厚生労働省で働くある現役職員だ。厚労省の職員らによる“ルール無視”の宴会が波紋を広げている。
報道によると、3月24日に同省の職員23人が都内の飲食店で老人保健課の課長・Aさん提案のもと送別会を敢行。東京都では飲食店に21時までの時短要請が出ているなか、宴会は深夜までマスクもせず行われたという。
「発覚後、菅義偉首相や厚労省の田村憲久大臣は即座に謝罪。Aさんは減給1カ月の懲戒処分、大臣官房付け異動となりましたが、これは事実上の更迭。また会食は4人以下にするよう求められているなか、厚労省では今回以外にも5人以上の会食が2件行われていたそうです」(全国紙記者)
ある国会議員秘書は問題の裏に、厚労省の“風土”を指摘する。
「厚労省は私服で出勤する人もいるくらい、よくも悪くも役人っぽくない。今回の宴会も『厚労省ならやりかねない……』というのがもっぱらの評判です」
前出の職員も同省内の雰囲気を明かす。
「今の時代、“飲み会の参加は自由”だとは思いますが、厚労省には課長が音頭を取った飲み会を断るのはよほどのことがない限り難しいという空気があります。また同じ課のメンバーということで、“いつも朝から晩まで一緒に働いているのに誰も感染していないのだから大丈夫だ”という考えもあったのかもしれません」
その空気を醸成していたのがほかならぬ“首謀者”のAさんだという。医師免許も持つ医系技官というエリート中のエリートだ。
「Aさんは人当たりもよく、朝から晩までよく働きます。フットワークも軽く、飲み会には誘えば来る。近い将来、重要ポストに昇進するともいわれていました」
いっぽうでは、こんな声も。ある医療関係者はいう。
「できる男という評判でしたが、医系技官特有の“俺たちは違う”というプライドもあったと聞いています」
なによりAさんは今回の不祥事を引き起こすにいたった“呆れた持論”の持ち主でもあったという。
「Aさんは飲食店の営業時短要請は効果的だと考えていなかったそうです。親しい仕事仲間には『なんで昼の飲食がOKで夜がダメなのか。PCR検査をやるほうが効果的なのに……』と話していたと聞いています」(前出・職員)
Aさんの“飲食店の時短営業は無意味”という過激な持論の代償はあまりにも大きかった。
「Aさんをはじめ、職員たちは公衆衛生にも詳しかったと聞いていますし、“自分は特別だ”という特権意識があったのだと思います。ですが、出世コースは閉ざされたも同然。中央省庁で課長職を続けることさえ難しいと思います」
たった一回の宴会が官僚人生を“時短”するとはつゆほども思っていなかったことだろう――。
「女性自身」2021年4月20日号 掲載
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水沢アキさん(66)といえば、彼女の人気に火をつけたグラビアをはじめ、ドラマに歌、クイズ番組にバラエティにと、多方面で活躍してきた。そんな彼女が昨年12月に出版した、全カット篠山紀信氏撮影による写真集『AKI MIZUSAWA 1975-2020』(小学館刊)が話題に。なかでも注目されたのが、昨年撮影した65歳の裸が収められていることだ。このヌードも含め、写真集の企画自体、水沢さんが自ら発案し持ち込んだものだった。
「撮影場所は私の自宅。満開の桜を背景に撮っていただきました。桜はきれいだけど、肝心の私がちょっと(苦笑)。でも、いいの。65歳だから胸も下がっちゃってるし、体重も増えちゃいましたけど、それでいいんです。私の集大成、45年分の軌跡を収めないと意味ないですから」
60代半ばでカメラを前に肌をさらす、それを決意させたのは、彼女の“元祖グラビアアイドル”としての矜持だ。さらにそこには、慣れ親しんだ芸能界への、ほろ苦い惜別の思いも込められていた。
「いまも『肩書は?』って聞かれたら、『女優です』と言いたいし、そう答えてもいます。でもね、最近の芸能界、面白くないし、もちろん仕事もあんまり来なくなっちゃったし。もう時代が私を要求してないなって薄々、肌で感じるし。それで、最後に何をやりたいかを考えて……。私を熱烈に応援してくださったグラビアのファンの人たちに、芸能人生ラストにもう1冊、恩返しの写真集を届けられたらいいな、そう思ったんです」
17歳のとき、水沢さんは念願だった芸能界入りを果たした。
72年のデビュー以降、数多のドラマや映画に出演し、レコードも出した。NHKの人気クイズ番組『連想ゲーム』では紅組キャプテンを務め、同じく一世を風靡したクイズ番組『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系)ではレポーターとして世界を飛び回った。たくさんのCMにも出演するなど着実にキャリアを積んでいた。
いっぽう、彼女の芸能人としての経歴と、切っても切り離せないのが数々のゴシップだ。芸能人・水沢アキに対し「恋多き女」という印象を持つ読者も少なくないのではないか。
「たしかに若いころは、愛に生きる女だったかも(笑)。当時は、女たるもの男性に言い寄られてこそ、と思っていました。常に恋人がいないと女としてみっともないと、思い込んでいたんです」
“恋多き女”が巡り合った理想の男性、それが86年、31歳で結婚したガイ・スィーヒさんだった。
ガイさんは人気キャラを使った英語教材会社の副社長。来日当初、4億円ほどだった日本支社の売り上げを、数年で十数倍に急伸させた敏腕ビジネスマンだった。
「自分で言うのもなんですが本当、セレブな暮らしぶりでしたね。100万円の家賃は会社持ち、お手伝いさんは3人いて、年に2回、ガイと彼の実家・コネチカットに帰るときは必ずファーストクラス、フロリダに別荘もありました」
87年には長男、88年には長女と、2人の子宝にも恵まれ、水沢さんは幸せの絶頂にいたはずだが……。
「幸せすぎたのかな。私ね、出産後も、2時間ドラマの仕事とか、やってたんです。でも、これは私だけかもしれませんけど、本当に満たされていると、演技で泣いたりできなくなっちゃうんですよ。本当に悩みましたよ、このままだと私、女優できなくなっちゃうかもって」
同じころ、夫からはある要望が……。
「結婚後、彼はすごい高給取りになりましたから。家族が暮らしていくのに、私が仕事して稼ぐ意味が理解できなくなっていた。『僕だけの水沢アキでいてほしい、ずっと家にいてほしい、何よりも、専業主婦になってほしい』って」
理想の夫であり、子供たちにとっては最高のパパ、彼ほどのパートナーは二人といないのはわかっていた。
「それでも、やっぱり私は仕事を辞められないと、決断したんです」
水沢さんはガイさんと離婚した。93年、38歳だった。
「離婚してから30年近く、私、誰ともお付き合いしてないんですよ。再婚したいなんて気持ちもサラサラない。昔、いっぱい経験して、わかったの。どんな素敵な人でも飽きるし、一緒なの。優しい人は裏を返せば優柔不断で意志が弱い。元夫みたいな強い人は、近くにいて安心感はあるけれど、じつはわがままで、人の意見を聞き入れない。ね~、一長一短、結局一緒なんですよ(笑)。どうせ一緒だし飽きるなら、ひとりで生きるのがいちばん。もう、自分の人生、男性に左右されたくないんです」
「ますます男性が必要なくなっちゃった」と、元恋多き女は笑った。彼女の覚悟が伝わったのか、66歳の誕生日に売り出した写真集は男性以上に、女性たちの評判がいいという。
「60代で裸になった私を見て『同じ女として励みになりました』と言ってくれて。いまの私には、サイコーの褒め言葉です(笑)」
「女性自身」2021年4月13日号 掲載
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自民党の若手議員によって、3月16日に緊急提言された「子ども庁」の創設。各メディアによると、厚労省や内閣府、文科省などで“縦割り”となっている医療や教育、福祉といった「子どもの政策」を一元化するというもの。
4月1日に呼びかけ人の自見英子参議院議員(45)らと会談した菅義偉首相(72)は、「大変重く受け止める。強い決意で取り組む」と意欲。「子ども庁」創設に向けて7日から会議が始められるが、その本部長に就任したのは二階俊博幹事長(82)だというのだ。
4月2日に配信された日本経済新聞によると菅首相は1日、自民党内に総裁直属の本部設置を二階氏へ指示。FNNプライムオンラインでは、二階氏が「子どものことは一番大事。国の宝だからしっかりやりましょう」と語ったと伝えられている。
自見氏の公式サイトによると、今年2月から山田太郎参議院議員(53)と共同で「Children Firstの子ども行政のあり方勉強会」を実施。これまで7回の勉強会が開催されたが、参加者一覧に二階氏の名前は記されていない。
いっぽうで今年1月19日には、45歳以下で構成される自民党青年局が二階氏に「73歳定年制」を守るよう申し入れたばかり。この定年制は’00年に設けられ、衆議院選挙の比例区で73歳以上の候補者を認めないとする“若返りを目指す”ルールだ。
各メディアによると二階氏は「青年局の活動は応援している」と述べたが、定年制については触れなかったという。
そして、「子ども庁」創設の呼びかけ人である自見氏は青年局長代理でもある。“若返り”を呼びかけながらも、73歳以上である二階氏を本部長に迎えることについて「矛盾しているのでは」との声も上がっている。
「内閣府には’15年4月に『子ども・子育て本部』が、厚労省では’17年7月に『子ども家庭局』が設けられました。こういった二重行政を解消することができれば、以前よりもスムーズに問題解決に取り組めるでしょう。国民からも期待の声が上がっています。
しかしながら、タイミング的に懐疑的な部分もあります。今年の秋までに行われる衆議院議員選挙では、『子ども庁』の創設が公約に盛り込まれるという話です。二階氏が本部長に就任したことで、『政権維持のためでは』といった指摘もあります。
ましてや新型コロナの第4波が深刻化しているなか、優先すべき事項なのかも検証が必要でしょう」(全国紙記者)
“良策”として期待がかけられるものの、思わぬ人選にネットでは批判が殺到している。
《中身はまっとうだが、トップが二階氏なのが問題。定年制はどうなった? 早く若手議員に任せるべき。せっかくの良策が二階氏が関わるだけでイメージダウン》
《二階さん、有能な若い人たちにそのポストを譲っていただいても良いですか? 80過ぎて活躍できるのは素晴らしい。でも、若い世代が育たない。だから議員さんも定年が必要ですね》
《何をどうしたらこういう人選になるのか……希望から絶望の落差激しいな!!》