「『病院に搬送はできません。施設内で看取ってください』札幌市の保健所から、そう言われて、遺体を入れる納体袋だけが施設に届いたそうです。そもそも、老人保健施設に、十分な医療設備はありません。コロナの重症者にできることといえば、酸素吸入を行うか、解熱剤投与や点滴をするくらい。私たちは、入所者さんたちが亡くなっていくのを、ただ看取るしかできませんでした……」
そう話すのは、看護師の金澤絵里さん(43)。これまで金澤さんは、看護師の経験を生かして、アフリカや中東、東南アジアなどで医療支援に携わってきた。日本では、離島や僻地の診療所で働いた経験も持つ“スーパー看護師”なのだ。
そんな金澤さんが、コロナ禍で駆けつけたのが札幌の老人保健施設、茨戸アカシアハイツだった。
「アカシアハイツでは今年4月、最終的には92人もの新型コロナの集団感染が起きて、看護師が一人もいなくなってしまうという緊急事態に陥ったんです。私は、札幌のNPOに所属しており、それ以外に看護師のボランティアネットワークのメーリングリストに登録していたので、何か緊急事態が起こると、それらの団体から支援を必要としている被災地の情報が流れてきます」
アカシアハイツで看護師が必要だという緊急メールが金澤さんの元に送られてきたのは今年5月3日だった。
「自分が感染するリスクもある。悩みました。札幌市に問い合わせたら、個人防護具は十分確保している、と。それなら自分を感染から守り最後まで全うできると思って行くことを決めたんです」
5月8日、金澤さんは施設に雇用される形で、アカシアハイツに入った。そこは、一人で何人もの高齢者を看取らねばならないほど壮絶な現場だった。
「防護服を着てアカシアハイツに入ったら、1階には、陰性の方が約40人。2階には、陽性の方が約50人いました。私が到着した時点では、急きょ支援に入った看護師が4人と、介護士や事務の方を含めて、スタッフはわずか15人ほどだったと思います。この人数で約100人の入所者をケアするほかなかったんです」
元々、看護師と介護士合わせて約45人のスタッフがいたが、新型コロナに感染したり、辞めてしまったりして激減していたという。4月下旬から5月にかけて、ちょうど北海道は、感染者がピークに達していた時期だった。リスクの高い高齢者は真っ先に入院させるべきだが、ベッドの空きもなく、施設で見ることを余儀なくされていた。
「初日にすぐ、お一人看取ることになりました。その方は酸素吸入をしていたんですが、容体が悪くなる一方だったので、急いで点滴の準備をしていたんです。そしたら、みるみるうちに悪くなって……。重症者だけでも入院させてほしい、と職員たちは市にかけ合っていたと聞いています。しかし、なかなか状況は変わりませんでした」
数日の間、なすすべもなく入所者を看取る日が続いた。
「感染のリスクがあるので、ご家族は施設内で看取ることもできません。そのなかで自分なりに精いっぱい業務に当たりましたが、見ず知らずの看護師の私に看取られて亡くなるのかと思うと、入所者さんが気の毒で。“入所者さんたちは見捨てられたんだ……”と心を痛める介護士さんの言葉も聞かれ、悔しさと申し訳なさから、介護士さんと泣きながら看取ったこともあります」
5月16日、札幌市がようやく対策本部を設置。重症者を病院に搬送できるようになり、施設も徐々に落ち着きを取り戻していった。少しずつスタッフも戻ってきたので、金澤さんは6月下旬にアカシアハイツでの任務を終えた。札幌市は7月3日、アカシアハイツでの集団感染は終息したと宣言。しかし、合計92人の感染者を出し、17人の高齢者が犠牲になるという痛ましい結果となった。
医療先進国の日本で、入院できずに目の前で次々と失われていく命。
「結局、私一人で5人の入所者さんを看取りました。今でも、入院もさせてもらえず亡くなった人たちのことを思うと、胸が締めつけられるようで……。国や自治体が、もう少し早く感染症への備えをしていたら、救える命もあったはず。二度と同じ過ちを繰り返さないためには、こうして体験をお話しして、多くの人に知ってもらうことも大事だと思っています」
(撮影:田山達之)
「女性自身」2020年11月3日号 掲載