高校3年生にしてプロ契約を結んだばかりか、A契約の条件である450分出場に達した今の状況からは想像しがたいが、わずか3年前、早川隼平は浦和レッズから離れることを考えていた。
「(浦和レッズ)ジュニアユース時代、自分が周りに優っていると思えたことは何ひとつなかったんです。そうしたら案の定、ユース昇格が保留になって。2週間、テストのような感じでユースに参加することになったんですけど、それなら高体連に行こうかなと思って」
そんなとき、すでに昇格を決めていた同期の阿部水帆(現 浦和レッズユース)からLINEが届く。
早川と阿部は小学1年生のころから互いを知るライバルである。早川は1FC川越水上公園、阿部はゼウシスFCと所属チームは違ったが、県トレセンなどで一緒にプレーし、レッズジュニアユースでチームメイトとなった。
そんな親友から、「見返す方法がふたつあるぞ」とメッセージが届いたのだ。
ひとつは、レッズに残って、昇格させてよかったと思わせること。
もうひとつは、高体連で活躍して、昇格させればよかったと思わせること。
このとき、早川が後者を選んでいたら……。
だが、続く阿部の言葉が、早川の心を動かした。
「水帆が『俺はまだお前と一緒にサッカーをしたいから、前者を選んでほしい』と伝えてくれて。それで2週間、頑張ってみようと思ったんです」
運命の2週間は、結果として早川にとってのターニングポイントとなる。
それまではどちらかと言えばパサーで、周りの選手の長所を生かす黒子的なプレースタイルだったが、このテスト期間は殻を破るかのように自らアクションを起こし、ピッチを駆け回った。
「それが評価されたのかどうかは分からないんですけど、昇格することができました。そこから守備でハードワークするようにもなったので、自分が変わるきっかけだったと思います」
ぎりぎりでユース昇格を果たした早川だったが、ユースチームでは1年時からスタメンに抜擢され、先輩たちに混じって高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグや日本クラブユースサッカー選手権を戦った。
時期尚早ではないかと起用に慎重なコーチ陣を制し、早川をピッチに送り出したのは、当時のレッズユース監督で、現在トップチームのコーチを務める池田伸康だった。
「技術的にも、身体能力的にも高くなかったのに、ノブさんは『お前には可能性がある』と言って、使い続けてくれたんです。勇気になったし、重みも感じました。使い続けてもらったのに満足のいく結果を残せていなかったので。期待してもらっているからこそ、もっと自分を良くしていかないといけないなって。
ノブさんは今も何かと気にかけてくれて、練習試合で良くなかったりすると、『どうやったらボールに触れるんだよ』『もっと考えてプレーしろよ』って(苦笑)。そのときは、『ナニクソ』って思うんですけど、『もっとこうすれば良かったかな』って考えるきっかけになるので、次に生かすことができていると思います」
高校1年時はチームメイトも対戦相手も年上の選手ばかり。技術のみならず、フィジカル面で明らかに上回る周囲にどうすれば対応できるのか。
早くから頭を使い、工夫を重ねてきたことが早川の成長を促したのかもしれない。次第にスピード感に慣れ、高校2年時にはレッズユースの中心選手となる。
トップチームのプレシーズンキャンプにも昨年、今年と2年連続して参加し、2月26日には前年に続いてトップチームで出場可能な2種登録選手となった。
この段階で早川が思い描いていたのは、「常にトップチームの練習に参加できるような立ち位置にいたい」ということだった。
ところが、過密日程の影響や負傷者の続出もあり、そして何よりマチェイ スコルジャ監督は17歳の早川が持つ無限の可能性に惹かれたのだろう。練習参加にとどまらず、本人が「思っていた以上に」出場機会が増えていく。
4月6日に行われたYBCルヴァンカップの川崎フロンターレ戦で76分から途中出場してデビューを飾ると、初スタメンとなった4月19日のルヴァンカップの湘南ベルマーレ戦では43分にこぼれ球を蹴り込み、初ゴールを決める。
さらに、4月23日の川崎戦では80分から出場してJ1リーグデビューを果たし、その1分後、オーバーラップした荻原拓也にスルーパスを通してブライアン リンセンのゴールを演出するのだ。
このときホットラインを築いた荻原も、早川がレッズでプレーするきっかけを作ったひとりだ。
6歳上の荻原は1FC川越水上公園のOBであるだけでなく、荻原の兄が同クラブでコーチのアルバイトをしていたため、小学生時代から交流があった。
中学進学に際し、1FC川越水上公園に残るかレッズジュニアユースに進むか迷ったときに、アドバイスをくれたのが荻原だった。
「ワンエフ(1FC川越水上公園)の監督からは『クラブの顔として残ってほしい』と言われていて。一方、2個上の兄(早川凌介)がレッズジュニアユースにいたので、一緒に試合に出てみたいなとも思っていて。
拓也くんはそのとき高3で、拓也くんのお兄さんを通して電話で話をさせてもらいました。拓也くんが言っていたのは、『レッズに行けば、周りのレベルも対戦相手のレベルも高い』と。そこで生き残れるのかわからないですけど、チャレンジしようって思いました」
その荻原と早川がときを経て同じピッチに立つのだから、感慨深いものがある。
4月末にはAFCチャンピオンズリーグ2022決勝第1戦のサウジアラビア遠征のメンバーにも選ばれるなど、早川はその後も試合出場を重ね、現時点で公式戦16試合に出場している。
8月10日にプロ契約を締結すると、9月10日のルヴァンカップ準々決勝第2戦のガンバ大阪戦に先発出場。41分の時点でクラブ史上最年少となるA契約可能な450分出場に達した。
「これだけ試合に絡めているのは、シーズン前に思い描いたものより遥かに上。450分出場は今シーズンの終わりまでの目標だったので、思っていたよりも早く達成できました」
だが、17歳はそこで少し表情を曇らせた。
「でも、結果を出せていないので、自分への不甲斐なさや焦りはすごくあります」
実際、4月19日の初ゴールが唯一のゴール。9月6日のルヴァンカップ準々決勝第1戦のG大阪戦から公式戦で3試合連続スタメン起用されたが、そのうち2試合はハーフタイムでの交代を余儀なくされた。
常に責任を感じながらピッチに立っているが、とりわけ大きなプレッシャーに苛まれるのがルヴァンカップだという。
この大会には、21歳以下の選手の先発出場義務ルールがある。鈴木彩艶が夏にヨーロッパへと旅立った今、レッズに21歳以下の選手は早川とルーキーの堀内陽太しかいない。堀内が本職とするボランチは選手層が厚いこともあり、早川が先発起用される可能性が高くなる。
「勝ち進めば自分のチャンスが増えますし、負ければチャンスがなくなる。それどころか自分のプレーによって、ルヴァンカップでの戦いを終わらせてしまうかもしれない。だから、いつもと違う緊張感があります。アウェイのガンバ戦(第1戦)の前は、『俺、いつもこんなに緊張してるっけ?』って思うくらい、緊張していました」
リーグ戦とは異なるカップ戦ならではのシチュエーションが、早川のマインドを不安定なものにしている。
「結果を残さないといけないという危機感がある一方で、カップ戦の前半はとにかく失点しないことが大事だから、守備で貢献しないといけないという思いもあって、それも緊張を強めている要因だと思います。ただ、もう少し結果を残すことにフォーカスしていかないといけないなって」
とても17歳、高校3年生の言葉とは思えない。目の前にいるのは、れっきとしたひとりのプロサッカー選手だった。
「ここでプレーさせてもらっている以上、高校3年生というのは、ないようなものだと思っています。1年目、2年目とか関係なく、試合に出してもらう以上は結果を残さなきゃいけない。結果が出せなかったら、自分はここにはいられなくなるっていう危機感を常日頃から抱きながら、覚悟を持って試合に出ているつもりです」
なかなか出場機会に恵まれない先輩たちが武者修行に出ていく姿も見てきた。そうした選手たちがその後、どうなっていったのかも。
「レッズは、レンタルバックが少ない傾向がありますよね。ただ、それも個人次第だと思います。自分は、ここで生き残っていかなければ終わるんだ、くらいの気持ちを持っているつもりです。だから、今の目標はこのチームで生き残っていけるように結果を残すこと。それから自分の何が通用して、何が通用していないのかを分析して、すべての部分のレベルを上げていきたいです」
ジュニアユースからユース、トップチームへと駆け上がり、同学年の選手たちより半年早くプロ契約を勝ち取った。
傍から見れば順調そのもののキャリアだが、本人は危機感でいっぱいだった。
「普段、トップチームで練習していて、毎日のように『この人、本当にうまいな』『この人と言ったら、このプレーだよな』『この人、こんな武器があるんだ』って思っています。それに比べて自分は中途半端だな、これと言った武器がないなって痛感させられて。だから、すべての面で少しずつ大きくしていくしかない。ほんと、毎日、打ちのめされていますね」
そう苦笑する青年と向き合って、安堵する自分がいるのも確かだ。
少し活躍しただけで慢心し、天狗になってこの世界から消えていった選手をいったいどれだけ見てきたことか。
不安や危機感、焦りこそが自身を駆り立て、成長へと向かわせる――。それはトップアスリートに共通する法則だからだ。
(取材・文/飯尾篤史)