あれはまだ、2022シーズンが始動したばかりのキャンプだった。
プロ2年目を迎えた大久保智明は、浦和レッズに加入したばかりの岩尾憲に、食事会場で声を掛けられた。
「ちょっとアドバイスしてもいい?」
練習前のストレッチでは2人組になることも多く、会話をする機会はあったが、わざわざ時間を作ってまで話をするのは初めてだった。
「ぜひ、お願いします」
大久保が答えると、岩尾は切り出した。
「トモ(大久保)がもっとゴールを奪えるようになるために、武器であるドリブルを生かすために、アドバイスできたらと思って」
そう言って岩尾は、ひとりの選手を例に挙げた。
19シーズンに明治安田生命J1リーグ優勝に貢献し、最優秀選手と得点王になった横浜F・マリノス(当時)の仲川輝人だった。
大久保と同じく、スピードを生かしたドリブルを持ち味とする選手である。
その仲川がアンジェ ポステコグルー監督のもと、19シーズンに15得点を挙げたのは、DFの裏を狙い続けたからだと説明された。
ドリブラーというイメージだが、ゴールシーンを振り返ると、その多くがワンタッチかツータッチ。足もとでボールを受けるのではなく、ファーストチョイスとしてDFの背後に抜けることを意識していた効果だとも教えてくれた。
「だから」と言って、岩尾は言葉を続ける。
「トモもドリブルに固執するのではなく、最初に(DFの)裏を意識するようになれば、決定機に顔を出せるようになるし、自分がゴールを決める機会も増えるはずだよ」
部屋に戻って、仲川のプレー映像を見た。岩尾の指摘どおり、得点シーンの多くは少ないタッチ数でのゴールだった。
加えて、DFの裏に抜ける動きを繰り返すことで、足もとでパスを受けたときにはスペースがあり、ドリブルを生かせる状況を作り出していた。
「自分も、この動きをものしなければいけない」
リーグ戦が始まると、「結果を残したい」とはやる気持ちからドリブルで仕掛けようと「足もとでボールを受けたい」という思考に陥り、岩尾からのアドバイスを実行できない時期もあった。
しかし、シーズン後半戦になって、大久保が輝きを取り戻した背景には、ドリブルはあくまで選択肢のひとつと考え、DFの背後を狙う動きを優先順位の上位に置いた効果だった。
その思考が結実したのが、第32節のサガン鳥栖戦だった。
40分、右サイドで出場した大久保はDFの裏に走り出すと、最終ラインにポジションを落としていた岩尾からロングパスが通る。大久保はファーストタッチで、前方のスペースにボールを置くと、相手をかわしてドリブルで深くえぐり、マイナスのボールを折り返した。これを詰めたキャスパー ユンカーが決めたのである。
「今季はいろいろなポジションで出場しました。ポジションによって求められるプレーに違いはありましたけど、鳥栖戦は常に裏を狙い続けたことでアシストすることができた。(今季は)プロ1年目よりも、スタメンで試合に出られる回数も、フル出場する回数も増えました。試合で自分がやれること、できることが多くなりました」
そして、大久保は自身のプレーを振り返る。
「パスが来たときに、今までならばこの位置だと、ドリブルしたらあまり良くないなとか、低い位置でも前を向いて強引にドリブルで仕掛けようとしていましたけど、他に選択肢がなかったときに、相手を抜けばいいと思えるようになったことで、周りを使えるようにもなりました。憲くんから言われた裏を狙い続ける動きがあるからこそ、前でボールを受けることもできたんです」
岩尾との会話には続きがある。
ホームで戦ったアビスパ福岡との最終戦を終えたあとだった。
大久保は再び、岩尾からアドバイスを受けた。それはアドバイスというよりも、次のステージへと導く要求だった。
「DFの裏へ抜けるアクションは、(パスの)受け手であるトモが先に動いたほうがいい。受け手のアクションに対して、出し手であるこっちが合わせるから。もし、トモがいい動きをしていたのに、パスが出てこなかったら、それは出し手である自分の責任だよ」
パスの出し手に合わせて、受け手が走り出すのではなく、受け手である大久保が走り出した動きに、パスの出し手である岩尾が合わせる。
かつて日本代表で希代の司令塔として活躍した中村俊輔が、ストライカーの佐藤寿人に送ったアドバイスと同義だった。
世界のトップレベルで勝つには、出し手の動きに合わせて、受け手が動き出していては遅い。前線の選手が自分の意図で動き出し、それにパサーが合わせるからこそ、DFとの駆け引きを制することができる。
レベルの高い相手に勝つには、一瞬の動きの質と判断が勝負を分ける。
シーズン最終戦で交わした会話は同時に、来たる23シーズンへの課題を意味していた。
「攻撃が停滞してしまう要因としては、みんながボールを受けようとして、動きが単発になってしまうからだと感じました。だからこそ、自分がDFの裏を狙うことで違う動きを見せられれば、と思います。
たとえパスが出てこなかったとしても、空けたスペースを誰かが使ってくれればいい。これは忘れずに来シーズンも継続していきたいと思います」
自信を掴んだ一方で、課題も整理できている。大久保は2つのポイントを挙げた。
「今年もリーグ戦では1得点でした。アシストも含めて、もっと得点に絡む動きを増やしていくために、最後の質は高めなければいけないと思っています。そこは一番強く感じたところです。目に見える数字を残すことが、攻撃を担う選手の価値にもつながっていくと思っています。
2つ目はゲーム体力を養うこと。横浜F・マリノス戦(第33節)はスプリント回数が1位でしたが、最低でもそこを基準にしていきたい。90分間通して相手が嫌がるプレーをやり続ける。攻撃の選手が攻撃だけをやればいいという時代は、とうの昔に終わったので、守備に戻ってから再び前に出ていくパワーと、ボールを奪われたときにすぐに奪い返しに行くパワーは、自分がさらに上に行くために必要だと思っています」
プロになってからの2年間をともに過ごした、リカルド ロドリゲス監督への感謝は尽きない。
「1年目は紅白戦のメンバーにすら入れなかった自分を、最後はスタメンで起用し、フル出場できるようになるまで成長させてくれました。初めてというくらい深くポジショニングについて学びました。それまでは、自分がボールを持っていることを、よしとしていましたが、ボールに関与していなくても、そこにいることに意味や価値があることを教えてもらいました。
結果が出ていないときも我慢強く使い続けてくれ、右サイドでも左サイドでもプレーできるようになったのは、リカルド監督のおかげだと思います」
来シーズンはマシエイ スコルツァ監督がチームの指揮を執る。この2年間は学びの連続だったように、新指揮官からも新しい知識を得られることを想像すると、自然と胸は高鳴る。
「また選手としての幅を広げてもらえると思うと、今から楽しみです。小学4年生で東京ヴェルディの育成組織に入りましたが、毎年のように監督が代わり、その都度、多くのことを教わってきました。そのおかげもあって、このサッカーでなければ自分は生きないといった固定概念がないんです。
監督が代わると、また新しい考えに触れることができる。だから、監督が求めることに、どれだけ自分が応えられるかにフォーカスしていきたい」
出場機会を増やしたことで、掴んだのは自信だけでなく自覚も、だった。
「点を決められなかったことも、パスを通せなかったことも、自分が戻れずに失点したこともありました。自分がチームの勝敗にかかわるプレーが増えたことで、より責任を感じるようになった。
そう考えると、1年目のときは、まだまだ出場時間も短く、どこか他人事のような認識でいたかもしれません。でも、今季は試合後のファン・サポーターの落胆も、ブーイングも、自分に向けて言われていると思って受け止めるようになりました」
自分がボールを持って前を向けば、スタジアムが沸き、ファン・サポーターが期待してくれている雰囲気を肌で感じ取っている。その空気が力になることも知った。
大久保には忘れられない瞬間がある。
タイのブリーラムで戦ったAFCチャンピオンズリーグ(ACL)2022のグループステージだった。まだ日本では解禁されていなかった声出し応援が可能とあって、スタジアムでは日本から駆けつけてくれたファン・サポーターから声援が送られた。
コロナ禍になって初ということもあり、これまで一度もコールしてもらえなかった選手たちの名前が次々と呼ばれていく。
しかし、大久保の名前がコールされることはなかった。
「自分の名前も呼んでもらえるかなと期待して、次かな、次かなと思ってアップしていたのですが、最後まで呼んでもらえなかったんです。そのとき、チームの一員ではあるけど、まだファン・サポーターのなかで、自分は浦和レッズの選手だと認めてもらえていないんだなと実感しました。悔しかったですけど、これが浦和レッズというクラブであり、浦和レッズのファン・サポーターなんだなと」
国内でも声出し応援が解禁となり、浦和レッズのファン・サポーターもチャントや選手名をコールするようになったが、それでも大久保の名が呼ばれることはなかった。
「認めてもらえるように、プレーで示したい。負けず嫌いなところもあるので、見返したいという思いや認めさせたいという思いもあります」
プロ3年目は、ファン・サポーターに認めてもらう、認めさせる年になる。リーグ戦はもちろん、4月29日にアウェイで第1戦、5月6日にホーム・埼玉で第2戦が行われることが決まったACL決勝は、絶好の舞台と言えるだろう。
大久保は言う。
「プロになるまで決勝の舞台やタイトルと呼ばれるようなものを獲ったことがなかった。でも1年目に天皇杯で優勝できて、自分の人生にとっても衝撃的な景色が広がっていました。
時期としては来季ですが、ACL決勝はプロ2年目の延長線上にあるような大舞台。そこでタイトルをつかむことができれば、また新たな景色を見ることができるはず。手に届くところにアジアのタイトルがあるので、何としてでもつかみ取りたいと思います」
目をつぶって想像してみた。
DFの背後を狙って走り出すと、後方からパスが通る。得意のドリブルで、さらに相手を抜きゴール前に持ち込むと、冷静にシュートを流し込む。
埼玉スタジアムは大歓声に包まれることだろう。
そのとき、大久保の名前は何度も、何度も、スタジアムに響きわたる。
(取材・文/原田大輔)