無の境地——。
着実に先発出場の機会を増やしている大久保智明が、好調の理由を明かしてくれた。
「最近、プライベートとピッチは切り離す必要があるなと考えたんです。今まではプライベートとピッチの中のことをつなげて考えていて、プライベートのときも、『もっと練習でこうしよう、ああしよう』とか『もっとこう動いたほうがいいのではないか』とか反省を繰り返していて、それがピッチに入ったときにも続いてしまっていました。
でも、プレーするときも考えていたら、その分、判断が遅くなることが分かったんです。プレーしているときは何も考えず、本能に身を任せるではないですけど、なるべく『無』の状態を作るように心がけています。だから今は、考えて動くよりも先に、自然と身体が動いていることを理想にしています」
無心でプレーするようになったきっかけは、シーズンオフから取り入れた十種競技のトレーニングに起因している。
「身体や脳は10数年もサッカーをしていれば、ほとんどの状況に巡り合っていると思うんですよね。だから実際は、考えずともとっさに足が出たり、動いたりする。例えばラダーを用いたトレーニングも、いちいち次は右足、次は左足と考えてステップを踏まなくても、無意識的に足が次、次って動くじゃないですか。
そのトレーニングをしたときに、『これだな』って思ったんです。サッカーのプレーもその都度、考えるのではなく、自分の身体は自然と反応してくれるな、と」
試合中の効果についても、自ら説明してくれた。
「今までなら、前にスペースがあるとき、『前に行けると考えて』から『前に行こう』と身体が動いていた認識ですけど、今は『行こう』としたときにはすでに身体が動き出しています」
決して考えていないわけではなく、判断がより早くなり、取捨選択が的確になったということなのだろう。
思考するその一瞬を省いたことで、彼はプレーにおいて多くの選択肢を得た。今や代名詞であるドリブルだけでなく、パスでも存在感を発揮している。
「最近、いい意味でドリブルにこだわりがなくなりました。ドリブルが一つの手段になったというか。相手が食いついてきたらポンってボールをはたいたり、相手が食いついてこなければドリブルで仕掛けたり。
パスとドリブルの両方を選択肢として持ってプレーできています。あとは最悪のケースでも、個の力で相手を抜けばいいという考えを持てていることで、プレーに余裕も生まれています。
以前は、無我夢中にドリブルで突っ込んでしまっていたところがありましたけど、余裕があることで周りが見えているというのも大きいと思います」
ピッチとプライベートの乖離は、学生時代から続けている日記にも顕著に表れている。
「最近、日記にサッカーのことを書く機会が減りました」
それだけプレーが充実している証でもある。無心でプレーすることにより、大久保は余裕やゆとりを手にした。
武器を手段の一つへと昇華させた大久保は、ドリブルだけでなく、パスでも魅せる。
(取材・文/原田大輔)
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