2013年9月、地元の川越近辺にあるピザ食べ放題のイタリア料理屋で偶然、当時18歳の関根貴大を見かけた。トップチーム昇格のリリースが出たばかりだったものの、その名前と顔は、すでに認識していたという。
「僕は小学校1年生でしたが、握手してもらったんです」
懐かしそうに“マイヒーロー”との出会いを思い出す早川隼平の顔は、自然とほころぶ。それ以来、関根のことはずっと追いかけるようになり、J1リーグのデビュー戦もしっかりテレビで見届けたという。
「2014年のホーム・清水エスパルス戦は見ていましたよ。うちは家族全員で地元が近いタカくん(関根)を応援していましたから」
2歳上の兄はFC鶴ヶ島でプレ-していた時期がある。初蹴りでOBの関根に会ったこともあり、兄弟そろって縁を感じていた。果敢にドリブルで仕掛けていく姿に憧れを抱き、関根のプレーを見るたびに胸を躍らせた。
「見ていて楽しかったですし、わくわくしました」
今でも鮮明に覚えているのは、小学校6年生のときに目にしたJリーグ最優秀ゴール賞にも選出されたスーパーゴール。2017年7月1日のサンフレッチェ広島戦でハーフウェーライン付近から6人を抜き去ったドリブルには心が震えた。
「かなり興奮しましたよ。僕とはプレースタイルが違うので、マネはしなかったですが、タカくんのようなプレーをしてみたいな、と思いました。憧れの存在です」
レッズのジュニアユースに入ってからは、同じアカデミー出身の先輩として、親近感を抱くようになる。そして、年齢を重ねるたびに近い将来、トップチームで一緒にプレーするのが現実的な目標のひとつになった。
「(原口)元気くん、タカくんは『アカデミーの顔』ですから。幼い頃は遠い存在でしたが、自分も早くそこまで上がっていきたいと思っていました。10歳差なので、プロの世界に入れば、一緒にできるだろうな、と」
17歳でトップ昇格を果たすと、かつて羨望の眼差しで見ていた『アカデミーの顔』は当たり前のように目の前にいた。コミュニケーションがぎこちなかったのは最初だけ。すぐに打ち解けて、たわいもない地元の話に花が咲いた。
「タカくんにはいろいろと聞いて、学ばせてもらっています。局面に応じて、臨機応変にプレーするところなど、参考にするべき点は数多くあるので」
関根本人に水を向けると、照れ笑いを浮かべていた。
「僕も年を取ったということですね(笑)。早川は“新人感”がなくて、どっしりとしています。プレーを見ても、堂々としていますから」
早川―関根のホットラインからゴールが生まれる日もそう遠くないのかもしれない。
(取材・文/杉園昌之)
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