夏の思い出を聞かれた安居海渡は、「夏ですか?」と笑顔を見せたものの、それがプライベートを含むのではなく、学生時代のサッカーに関するものであることを知ると、すぐに表情を変えた。その歪み方は、数分後に偶然飛んできた蛾を見たときと似ていた。
「学生時代の夏はサッカー三昧でしたが、特に思い出すのは高校1年生の夏です」
高校サッカー部の夏休みと言えば、合宿。安居が通学していた頃の浦和学院高校は、長野県の斑尾高原で合宿をすることが夏休みの恒例となっていた。
同じ長野の軽井沢のように避暑地とされる斑尾高原だが、もちろんリゾートを楽しんだわけではない。
「いわば、走り合宿でした。朝から11キロメートル走ったりしていました。5.5キロメートルを下り、5.5キロメートルを登ってくる。それが朝練です。それから午前練習、午後練習、夜練習があり、その中でも丘をダッシュしたりする。今となっては考えられないくらいきつい練習でした」
毎日、全身が筋肉痛だった。道中で吐いてしまう人もいた。それくらい追い込まれる走り込みだったが、この合宿がつらい理由は他にもあった。
「走り合宿であるとともに、食事合宿でもあったんです。それだけの練習をしたあとに、大きなどんぶり3杯のご飯を食べる。しかも食べ終わったら、空になったどんぶりを見せなければいけませんでした。そして疲労困憊のなかで、先輩のトレーニングウェアなどを洗濯する。それが8泊9日です。ザ・学生の部活でしたし、しんどかった思い出しかありません」
Jクラブの育成組織に所属した経験はなく、浦和学院高校から流通経済大学と部活でサッカーを磨いてきた安居。学生時代にはさまざまなターニングポイントがあり、もちろん良い思い出もある。
試合で活躍したり、プロのスカウトの目に止まったり、Jリーグクラブの練習に参加して自信をつかんだり。
ただ、それはいずれも夏ではなかった。全国高等学校総合体育大会(インターハイ)、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントと夏の風物詩といえる大会に出場することもなかった。
流通経済大学時代には高校時代のような苦しい合宿もなく、高校以上にサッカーに集中できる環境にあった。むしろ、楽しい思い出として残っている。ただ、色濃く記憶に刻み込まれるような出来事はなかった。
「高校時代のことしか出てこない。だから思うんです、『夏はきつい』って(笑)。でもよく耐え抜いたと思いますし、それがあったから精神的にも肉体的にも強くなったと思います」
二度とやりたくないとは思うが、あの合宿があったからこそ、プロの世界でも当たり負けしない強靭な肉体のベースができたと思っている。
「あ、でも……」
安居は唐突に思い出したように口を開いた。
「本当に足腰の強さが身に付いたのは、高校時代の自転車通学でした。間違いありません」
埼玉県川口市の実家から浦和学院高校まで約12キロメートル。行きは特に登り坂もきつい国道122号を約1時間、毎日ひたすらペダルをこいだ。
雨の日も合羽を着て自転車に乗った。練習でいくら走り、筋トレをしても自転車で帰る。
むしろ友人と一緒に帰るので遠回りになり、15キロメートルほどを自転車で走った。それが浦和学院高校に通うための両親との約束だった。
「だから夏も、どんなに暑くても自転車で学校に行きました。バックを背負い、学校に着いたころには全身汗びっしょり。着替えを何着か持って通学していました」
通学も合宿もそうだった。どんなにつらくてもやり遂げた。そしてプロになった今、「ひとつのことをやり遂げる重要性」を感じている。夏はきつい。でも負けない。残暑どころか猛暑はまだしばらく続きそうだが、安居はタフに闘い抜く。
(取材・文/菊地正典)
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