初めての中東遠征だった。胸が高鳴る決勝の第1戦に向かう飛行機の中で35歳の岩尾憲は、気持ちを落ち着かせるために2本の映画を見た。
「本を読むと考え込んでしまうので、映画を見ていました。『テッド』というコメディーですね」
命が宿ったテディ・ベア(ぬいぐるみ)と中年男性のドタバタ物語。ユーモアあふれるアメリカンジョークが琴線に触れて、思わず続編の『テッド2』まで鑑賞した。しっかり睡眠を取りつつも、お笑い芸人の居酒屋トークを収録した動画なども見て楽しみ、あっという間に12時間のフライトを終えた。
「リラックスして中東の中継地に入りました」
眼前に広がる景色は一面、砂の世界。砂の先に見える地平線を見ながら『中東』に来ていることを実感し、決勝第1戦への準備を続けた。
試合に向けて調整していると、通りすがりの人たちから「ACL決勝ではアルヒラルが勝つよ」と冗談混じりに冷やかされたりもしたが、「勝つのは浦和レッズだよ」と英語で対応する余裕もあった。
「現地でもACL決勝は、注目されているのが分かりました」
それでも、宿泊先のホテルに帰り、部屋でひとりの時間を過ごしていると、ナーバスになることもあった。アルヒラルの映像を確認し、自分がプレーしている姿を想像した。
良いイメージも湧けば、悪いイメージも湧く。考えれば、考えるほど神経質になった。少なからず不安があったのも事実である。
頭の中が切り替わったのは、中継地からサウジアラビアへ移動してからだ。試合が直前に近づいてくると、気持ちが高ぶり、自分自身と会話した。
「『こんなことに挑戦できるのは限られた人間だけなんだよ』と。『ここで自分のプレーができないのであれば、サッカーを止めたほうがいい。お前はなんのためにサッカーをやってきたんだ』って」
プロ13年目。雑草魂を持って厳しい世界を生き抜き、ようやくたどり着いた大舞台だ。
「試合当日には『お通夜のような雰囲気が漂う飛行機に乗って帰りたいのか、それとも明るい飛行機に乗りたいのか、お前はどっちなんだ』と自らに問いかけていました」
結果は周知の通り。帰国便には暗い顔で乗り込むことはなかった。アウェイゴールという大きな土産をぶら下げ、機内ではまたゆっくりと映画を鑑賞した。
晴れた表情の岩尾が選んだのは、復讐劇を描いたアクション映画『キャッシュトラック』。ストーリーの展開は落ち着かなくても、リフレッシュはできた。
今はホームの第2戦に向けて、集中力を高めている。アルヒラルが第1戦以上のパワーを注ぎ込んでくることを想定し、イメージを膨らませていた。
「僕らは相手を上回るハードワークをしないといけない。そこがまず最低条件。アルヒラルのほうがプレッシャーは感じているはず。僕らは気負いすぎずに、心身ともに準備していきたい」
プロサッカー人生を懸けた最大の戦いは、まもなく始まる。
(取材・文/杉園昌之)
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