たかが数分、されど数分だった。
ピッチに立ったのは、アディショナルタイムを含めて10分にも満たなかった。それでも——荻原拓也にとっては、多くを手にした時間だった。
5月6日、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)2022ノックアウトステージ決勝第2戦。86分に途中出場した荻原は、試合終了のホイッスルをピッチの中で聞いた。
「個人的には安堵の気持ちが一番強かったです。チームが2年前の天皇杯から繋げてきたタイトルであり、クラブが繋げてきた決勝の舞台。天皇杯も、ACLのグループステージも戦っていない自分は、最後の決勝にだけ出場できるということで、なおさらその重みを感じました。だからこそ、優勝できたことにホッとしたんです」
5万3374人が駆けつけた埼玉スタジアムのスタンドを眺めて、同時にこう思った。
「5万人を超えるファン・サポーターが歓喜に沸いていて、その空間を選手のひとりとして共有できたことが本当に幸せでした。決勝は言葉にできないくらいの雰囲気で、日本であれだけの空気感を作り出せるのは、浦和レッズだけ。そこに改めてクラブのアイデンティティーを見ました。
それは浦和レッズに戻ってきてから、毎試合、毎試合、感じているんですけどね。何より、そこが浦和レッズに帰ってきた要因のひとつというか、帰りたいと思ったひとつだったので」
こちらが、「そこも戻って来た理由だったのか」と念を押すと、荻原は「そこが」と言い直した。「も」と「が」では、大きく意味も決意も異なる。
「浦和レッズのファン・サポーターは、毎試合、緊張感を持たせてくれる存在。自分が成長させてもらえる場を、毎試合、作ってくれています。そのファン・サポーター以上に、自分が一番、自分に期待しているんですけど、そういった期待してくれている方たちの思いに応えたい。その気持ちが、自分をさらに成長させてくれるきっかけになり、理由になるとも思っています」
浦和レッズのアカデミーで育ち、重みを知るからこそ、“決勝”にだけ出場する資格を得た自分にプレッシャーも感じていた。
「試合に向けて準備している段階で、何日も前からすごく緊張している自分がいました。時間があれば、ACL決勝のことばかりを考えてしまっていて。恐怖すら感じたと言えばいいですかね。
先発で出場することになっていたら、思い切りやればいいと割り切れていたかもしれないですけど、自分が出場するならば途中出場になることはある程度は分かっていました。それだけに、そのタスクの重さに逃げ出したくなるというか、プレッシャーを感じている自分がいたんです」
頭の中でいくつも場面を想定したのだろう。限られた時間の中で——チームを勝利に導く結果を残さなければならない場合、もしくはリードを守って試合を終わらせなければならない場合——。
実際は後者だったが、途中からテンションの高い試合に入る難しさも含め、ひとつのミスも許されない状況を想像すれば、「恐怖」と表現したのも強くうなずける。
「自分はまだまだ弱いなと。心の準備不足もあったと感じました。でも、その感情というのは、自分の中で絶対に目を背けてはいけないと思ったし、隠してはいけないとも思ったので、大会後にサッカーノートにも綴りました」
きっと、それを経験と呼ぶのだろう。その重圧や恐怖も、浦和レッズに戻ってこなければ感じることはできなかった。
「だから、浦和レッズに復帰した理由に戻るんですけど、やっぱり、ここは自分を成長させてくれる場所なんです。だって、19年のACL決勝は、そのピッチにすら立てずに、緊張や重圧すら感じることができなかった。
当時の自分は今以上に未熟だったので、そうした考えもなく、ただただスタンドから試合を見ていることしかできなかった。それが今回、あの舞台を経験することができた。本当に自分は幸せ者だなって」
荻原は「弱さ」と表現したが、さらけ出す勇気を持っているのは「強さ」と言えるだろう。そして、彼が言う「弱さ」は「繊細」と言い換えることもできる。重圧を乗り越えようとする姿勢も、状況や周りが見えすぎる感性も、彼の魅力であり、強みだ。
「プレースタイルから逆の印象を持たれることも多いんですけど、実は繊細なんです。でも、その繊細なところも自分の財産だと思っています」
そう言って荻原は笑ったが、タイトルを獲ったACL決勝を経て、改めて浦和レッズというチームでプレーする重みを感じた。それがゆえに、その後のリーグ戦で左サイドバックとして先発出場すると、“思い”が先行した。
「自分にとって自信があるプレーでミスをすると、それを引きずってしまったところがありました」
例に挙げたのが、3-1でチームが勝利した5月14日のガンバ大阪戦(J1第13節)だった。31分に得たフリーキックの場面で、キッカーを務めた荻原は、シュートを壁に当ててしまった。
「そのキックミスを引きずってしまって自分でリズムを崩してしまったように、自らで自らを壊してしまったのが、ここ数試合でした」
そして、荻原は少しだけ時間を巻き戻す。
「プロになったばかりの頃は、怖い物知らずで、思い切りプレーできていたんですけど、プロ3年目くらいになってミスをすることへの怖さを知り、壁にぶち当たったんです。でも、京都サンガF.C.に期限付き移籍して、そこで最高の指導者に出会えて、再びミスを恐れなくなったというか。そこを意識せずにプレーできる環境を作ってもらっていました。
京都がそうしたミスを恐れずにプレーすることを求められるチームだとすれば、浦和レッズは一つひとつのプレーに責任が生じ、一人ひとりが自立することを求められているチーム。ミスが許されない環境だと思っています」
自立したプレーをすることで、強固な組織となる浦和レッズに身を置き、再びミスを恐れてしまっている自分がいた。試合を終えて、頭を過るのもミスやネガティブなプレーばかりになっていた。
自分でも気づいていたが、それを的確に諭してくれたのも指導者だった。アカデミー時代の自分を知る池田伸康コーチに呼び止められると、こう言われた。
「必要以上に自分を責めなくていい。確実にお前は成長しているから」
自分のプレーを思い返せば、できていないことばかりではなかった。クロスの精度や質に成長を実感しているように、できる動きも、できるプレーも増えていた。
「ノブさん(池田コーチ)は昔から自分のことを知ってくれているので、顔色ひとつ見ただけで、しっかりと僕の思いをキャッチしてくれるんですよね。近くにメンターになってくれる人がいると、本当に助かるし、これも幸せなことですよね」
目の前が開けた荻原が言う。
「自分の強みは、攻守における前への推進力だと思っています」
先輩である酒井宏樹から言われた言葉も自信を取り戻すきっかけになっている。
「せっかく1対1が強いのに、アビスパ福岡戦(第14節)でマッチアップした相手が目立つような雰囲気を作ってしまうのはもったいないって言われたんです。相手を引き込むのではなく、(岩尾)憲くんにカバーに入ってもらうようにして、ガツンと前でボールを奪う守備をすれば、チーム全体も下がらなくてすむし、強みである前への推進力も出せるとアドバイスをくれました」
酒井のプレーを想像すれば、目立たない部分でもチームを動かし、試合を優位に進める働きかけをしていた。
自身のプレーで雰囲気や印象を作るだけでも、試合の流れを引き寄せることができる。また、サイドバックであっても周りに使われるだけでなく、周りを使うことで自分の特徴を発揮することもできる。
ステップアップへのヒントだった。
「宏樹くんの言葉を聞いて、自分が輝ける環境を作ることも、自分自身なんだと思いました」
ピッチでやるべきこと、見せることは再び明確になっている。
「何もないところからでも、チャンスを作り出すことができるのが自分の特徴。ひとつのランニング、ひとつのクロスでチャンスを作り出すことができる。自分がチームから課されているのは、そのストロングポイントをどこで、どう還元するか。
守備においても、ずるずると引いて守るのではなく、前でボールを奪いに行く守備をする。誰でもできるプレーではなく、自分にしか、自分だからできるプレーをすることで、自分の価値も見出せると思う。それをこの自立した浦和レッズのなかで、どれだけできるか。それを楽しみたいし、楽しまなければダメですよね」
選手のインタビューをするときに、たびたび思うことがある。
トンネルを抜けた先で話を聞くのかがいいのか。それともトンネルを歩いている途中で話を聞くのかがいいのか。個人的には、後者のほうが選手としてだけでなく、人間としての魅力が感じられて、その動向を追いかけたくなる。
だから、このタイミングで荻原に話を聞けた幸運に感謝した。
なぜなら、荻原は自分自身の強みを見つめ直したことで、トンネルの出口にある光りを見つけている。また、奇しくも次なる戦い舞台は、彼が「最高の指導者」と語る曺貴裁監督率いる古巣・京都とのアウェイゲームである。
「自分が選手として成長した京都のスタジアムのピッチに、浦和レッズの選手として立ったとき、また自分が何か変わるきっかけを掴めるかもしれないと思っています。相手に気づかされることも、きっとあるかもしれない。そこで感じたものを、ピッチに立つことができたら爆発させたい。その爆発させる瞬間もすごく大事だと思っています」
アジアのタイトルを勝ち獲り、安堵した夜、歓喜に沸くファン・サポーター、チームメートを見ながら思ったことがもうひとつあった。
「また、この舞台を経験したい、もっと大きな舞台に立ちたいなって思ったんです。ACLなら今度は先発で試合に出たいですし、もっと大きな舞台といえば、日本代表、ワールドカップになる。そのとき、自分は何を感じるのだろうかと、うれしさと同時に欲も抱いたんです」
繊細さを備える背番号26がピッチで見せるのは、多くの人がプレースタイルから強気な姿勢をイメージするように、あとは前へ、前へ突き進むだけだ。
(取材・文/原田大輔)