吉田舜は浦和レッズから届いたオファーに、思わず耳を疑った。
「あの浦和レッズですか? またぁ、そんなことあるわけないじゃないですか」
新手のドッキリでも仕掛けられているのではないか。すぐに現実を飲み込むことはできなかった。
話を聞き、事実だと分かってもなお、しばらく衝撃を抑えることはできなかった。
埼玉県出身ということもあり、育成年代のときには、レッズの育成組織の練習に呼ばれて参加する機会があった。しかし、アカデミーに合格することはなく、あくまでひとつの経験として終わっていた。
「自分が子どものときに、浦和レッズは(2007年)FIFAクラブワールドカップで3位になったことは覚えていますし、ずっと手の届かないクラブという印象でした」
オファーが届いたのは、カタールで開催されたワールドカップが行われていた時期だった。
「浦和レッズに加入すれば、日本を代表する西川周作選手と一緒に練習することができる。日本の最前線を走ってきたGKとともにサッカーをすることができれば、試合に出る以上の何かが得られるかもしれない。
所属しているGKは、牲川歩見選手も、鈴木彩艶選手もトップレベルの選手たちばかり。自分にとっては、得るものしかないと思いました」
日本代表が世界の強豪を相手に熱戦を繰り広げていたことも、決断の後押しになった。
「サッカー選手ならば誰しもがワールドカップに出場したいと思いますし、もっとうまくなりたいという思いも抱いているかと思います。ちょうどワールドカップが開催されている時期ということもあって、自分も刺激を受けました。
4年後にその舞台に立つことを想像したとき、J1のチーム、それもビッグクラブと言われるチームでゴールを守り、地位を確立しなければ日本代表は見えてこない。そのためにも浦和レッズに加入して、さらに上を目指そうと考えました」
4年に一度のサッカーの祭典を見て、吉田は現状に満足するのではなく、未来の自分を思い描き、そして目標として定めた——。
かつて浦和レッズでプレーし、大分トリニータでチームメートだった梅崎司に報告して意見を聞いた。梅崎は第一声で「ホントに? 俺も行きたいわ〜」と笑ったが、レッズを知る先輩として、こう言ってくれた。
「浦和レッズという日本のビッグクラブでプレーする経験と、西川周作というGKと一緒に練習する経験は何よりも代えがたいものになると思う。もし、自分がシュンの立場だったら挑戦すると思うよ」
一方で梅崎は、サッカー選手の先輩として現実を突きつけることも忘れなかった。
「大分で試合に出られる状況になった今、選手としてのキャリアを考えると、試合に出られる可能性が高いチームにいたほうがいいとは思う」
それだけレッズでのポジション争いは過酷なものになるということを伝えたかったのだろう。
すでに吉田は、レッズ加入を決めていたが、新天地の厳しさを忠告してくれる先輩のアドバイスはうれしく、背筋が伸びる思いだった。
ちなみに前橋育英高校時代の同級生である小泉佳穂にも連絡したが、オフのため忙しかったからか、返信はなかったと言って笑う。吉田は「喜んでくれるかな」と思っていたが、再会を果たしたときには「事前に連絡してきてくれた?」と、とぼけられたと教えてくれた。ある意味、ツンデレな小泉らしいリアクションに思えて微笑ましくなる。
そして、吉田が現状維持ではなく、前進することを選択できたのも、昨季の大分で得た経験と自信が大きかった。
「大学を卒業してJ3のザスパクサツ群馬に加入して、すぐに試合に出場して1年間、プレーすることができました。それもあって、プロ2年目は大分トリニータに移籍したのですが、2年間まったく試合に出場することができませんでした」
19年はJ3でリーグ戦34試合に出場した。一方、20年は公式戦での出場はゼロに終わり、21年も天皇杯の1試合に出場しただけに終わった。
「正直、そうした状況のなかで腐ってしまった時期もありました」
大分トリニータで迎えた3年目の22年。年齢も25歳になり、年下の選手が増えてきたなかで、吉田は決意した。
「このままじゃダメだ。変わらなければダメだ」
試合での出場機会が得られようが、得られまいが、日々の練習に全力で臨もう。そう自分に課した吉田は、100%ではなく、120%の思いで練習に臨んだ。
それでも22シーズン序盤はメンバー入りすることがほとんど叶わず、チーム内での状況は変わらなかった。しかし、気持ちが腐るようなことはなくなっていた。
そんな自分に変化を感じたのは、公式戦ではなく、練習試合だった。
「練習試合でしたけど、自分のプレーに手応えを感じることができたんですよね。それ以前からも調子はよかったのですが、練習試合での出来を周りにも認めてもらえて、自分にとっても自信になりました」
変化と成長を監督やコーチも見ていたのだろう。22年7月30日のJ2リーグ第29節からメンバー入りすると、1カ月後の8月28日、第33節のブラウブリッツ秋田戦では先発出場した。
その試合、チームは1-0で勝利し、吉田は零封した。その後も先発し、3試合連続となる1-0の勝利に貢献すると、以降もゴールマウスを守り続けた。
「3試合連続無失点だったのは、自分の力だけではなく、チームメートが体を張ってくれたおかげで、自分の力は本当に微々たるものでした」
実戦経験もさることながら、彼が得たのは、何事も全力で取り組むことにより、自身の成長につながり、それを周りも見てくれ、変化や評価にもつながっていくという“過程と姿勢”の大切さだった。
だから、レッズでも当然、厳しいポジション争いが待っているが、決意も覚悟もできたのである。
「あの頃の自分とは違うという確信が、今はあります」
ジョアン・ミレッGKコーチの練習は日々が刺激的だ。
「驚きの連続です。今までここまで細かくGKの技術や考えについて教えていただけるGKコーチに出会ったことがなかったので、毎日、毎日が新鮮です」
昨季、ミレッGKコーチの指導に初めて触れた西川も、「一からGKとしての技術を叩き込んでもらっている」と話していたが、吉田もまさに同じだった。
顔の前でボールをキャッチするときの手の形を作り、「今までとはボールのつかみ方から違うんです」と教えてくれた。昨季の西川が教えてくれた内容とリンクして、学びと吸収の毎日なのだろうということが分かった。
「昨季から指導を受けている3人と比べると、自分はまだまだ身体に染みついていないところもあるので、どうしても現時点では差は感じてしまいます」
焦りもあるが、ミレッGKコーチが掛けてくれる言葉に前を向き続けることができている。
「指導を受けてまだ数日だから、気にしなくて大丈夫。遅くても構わないから、きれいにきちんと一つひとつをやっていくことを心掛けてほしい」
練習では、
「これは自然とできるようになったな」
「このプレーは言われていたものが出せた」
「ここはまだまだだな」
と、新しい自分に出会う日々を過ごしている。
すべてを吸収し、自分のものにできたときには、さらなる成長と大きな自信を得ていることだろう。そう思えば、自然と毎日が充実していく。
「浦和レッズのGKは全員、レベルが高いので、簡単に試合に出られるとは思っていないですけど、やるからには試合に出たいですし、どんな形であれ、試合に絡んで、ゆくゆくはファン・サポーターと一緒にタイトルを獲得する瞬間を喜びたいと思っています」
子どものとき、祖父がよく、高校サッカーの試合を見に、埼玉スタジアムに連れてきてくれた。
前橋育英高校時代に準優勝した全国高校サッカー選手権大会では、準決勝、決勝ともに会場は埼玉スタジアムだった。
あの大きなスタジアムで、日本一のファン・サポーターの応援を受けてゴールマウスを守ることを考えると、武者震いが止まらない。
「きっと、あの声援を背中で受けたときには、ゴールを壁で守ってもらっているような感覚になるんでしょうね」
過酷な環境や激しい競争も望むところである。声援という頼もしい壁が後ろにあることを想像すれば、彼が後ろを振り向くことはない。心強いファン・サポーターとともに戦うため、吉田は前に進み続ける。
(取材・文/原田大輔)