スケール感が大きく、なおかつ、未完――。
それが内島萌夏のプレーを見た時に、多くの人が抱く印象だろう。
今年初頭の世界ランキングは443位で、現在はキャリア最高の129位。
急成長の夏を疾走中の21歳だ。
15歳時に全日本Jr.の16歳以下部門を、翌年には16歳にして同大会18歳以下部門を制した彼女は、早くから同世代のトップだった。
ただそれでも、プロとして活動するに際しては、拠点やコーチ探しに苦しんだ。
試行錯誤の時を1年以上経た末に、最終的に足元を定めた地は、中国の広州。中国やアメリカで数多くの選手指導歴を持つアラン・マーを頼り、彼が運営するアカデミーを拠点とした。
アラン・マーに師事するようになってからは、「あらゆる技術を直された」と内島は苦笑する。
テニスラケットを握ったのが9歳とやや遅く、始めて間もなく天性の才覚で次々にタイトルを取った内島には、本格的な指導を受けた経験が少なかったかもしれない。
その才能の原石が、新天地で精緻に研磨された。
「まずはラケットを変え、フォアハンドはグリップの握り方から変えました。わたしのグリップはもともと厚かったので、もうちょっと薄くしたんです」
『厚いグリップ』とは、地面に置いたラケットのグリップを上からつかむような握り方。
内島はその握りの角度を、ラケット面と手のひらが同方向に向く方へと少しスライドさせた。
狙いは、「できることを増やす」こと。スライスやボレーなどを選択肢に加え、プレーの幅を広げる青写真を、わずかに変えた角度の先に見ていた。
全米OP予選での内島。改善したフォアへの自信は深めているが……
その成果は、今年のランキングの急上昇に現れている。
一方で、先週行われた全米オープン予選での内島は、苦しい戦いを続けていた。
理由は、「プレーのオプションを増やそうと取り組んでいる中で、自分の土台が揺らいでしまった」ため。
それでも内島は、「良い時も悪い時もあるけれど、長い目で見て良くなるのが目的なので」と笑った。
今回の全米予選の結果は、フルセットの接戦を2度制し、決勝は5-7,5-7で惜敗。
初のグランドスラム本戦出場は、惜しくも成らなかった。
ただそれは、より良い選手になるためのプロセス。
未完の大器は今大会でまた一つ、その器に貴重な経験を詰め込んだ。
内島萌夏(うちじま・もゆか)
2001年8月11日、日本人の父親とマレーシア人の母親の間に生まれる。173㎝の恵まれた体躯を生かした、ダイナミックな攻撃テニスが持ち味。
【内田暁「それぞれのセンターコート」】