(写真:アフロ)
「優真くんは日本人選手が4回転を当たり前のように跳ぶ姿を見て育ってきています。彼はこれからの日本フィギュアスケート界を背負って立つ男だと思います」
そう語るのは、フィギュアスケート評論家の佐野稔さん。
フィギュアスケート世界選手権で初出場ながら銀メダルに輝いた鍵山優真選手(17)。フリープログラム終了後に自己得点を確認すると傍らにいた実父でコーチの鍵山正和さん(49)と握手を交わした。
鍵山選手のスケート歴は12年。’92年アルベールビル、’94年リレハンメルと2度も五輪に出場した正和さんは当時、富山県で暮らしており、5歳になる息子を専属インストラクターとして勤めていたリンクに連れていったのだ。
「並外れた膝の柔らかさによるスケーティングの伸びや力強さなど、優真くんのスタイルはどんどんお父さんに似てきています」(前出・佐野さん)
鍵山選手にとって、父の現役最後の試合となった’94年3月の世界選手権の映像は宝物のようになっているという。彼はインタビューでこう語っている。
《美しいというより、迫力ですね。父は『恥ずかしい』と言って一緒に見ることはないんですけど(笑)》(『Number』’19年12月号)
正和さんには離婚歴があり、シングルファザーとして鍵山選手を育てたという。父ひとり子ひとりの生活は、2人の絆を強めていったが、かつての鍵山選手には、父への“甘え”もあったようだ。
■「僕が頑張ればお父さんの病気も…」
スポーツ紙記者は次のように語る。
「家事もお父さんがすべて担当しており、朝練のときもお父さんに起こしてもらっていたそうです。しかし鍵山選手が中学3年生だった’18年に試練が訪れました。正和さんが脳出血のために入院してしまったのです」
それまで練習も父の言うとおりにこなしていればよかった鍵山選手も変わらざるをえなかった。
「お父さんに指導してもらったことを思い出しながら、自分で練習メニューも考えて滑るようになったそうです。練習中の動画を病床のお父さんに送って、アドバイスをしてもらう日々が続きました」
鍵山選手を支えていたのは父への思いだった。当時の彼はこう語っていたのだ。
「僕が頑張れば、お父さんの病気も治りますよね」
半年後に退院した正和さんは、たくましくなった息子の姿に驚いたという。
「いまも正和さんはリハビリを続けており、今回の世界選手権後に帰国する際の空港では、鍵山選手が車いすを押していたのです」(前出・スポーツ紙記者)
“自分が活躍すれば父の力にもなるはず”……、北京五輪出場を目指す鍵山選手の滑りには、感謝と願いが込められている。
「女性自身」2021年4月20日号 掲載