「国際テロの魔女」と呼ばれる重信は、いったいどのような人物なのか。
「明治大学文学部の夜間に通っていた重信は、学生運動をきっかけに『共産主義者同盟赤軍派』という左翼グループに加入します。長い黒髪におしゃれなファッション。そして、雄弁部に所属していたこともあって演説がうまく、カリスマ性も高かったことから、徐々に組織の中心人物になっていきました。人心掌握術が魔法のように上手かったことから、『魔女』と呼ばれるようになりました」
「過激さを増した『共産主義者同盟赤軍派』の一部メンバーは、1970年、日本で初めてハイジャックを起こします。いわゆるよど号ハイジャック事件で、北朝鮮への亡命を図るのです。これは共産主義思想を持った学生たちが、発展途上国などに拠点を築き、革命を起こすべきだとする『国際根拠地論』を掲げたことの一環です。重信も、1971年に中東のパレスチナに赤軍派の基地を作ろうとし、現地で『日本赤軍』を結成するのです」
「1972年の乱射事件が起きた当時、パレスチナでは、占領するイスラエルとそれに抵抗するパレスチナ解放機構との対立が激化していました。重信たちはパレスチナ解放闘争を始めますが、その過程で数多くの民間人を巻き込み、無差別テロ実行犯として、国際社会から激しく非難されました。同時に、中東の石油に依存しながら現地の政情に無関心だった日本政府が、中東問題に真剣に向き合うきっかけにもなるのです」