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「可能性にかけるのが勝負師」八重樫東、"激闘"を続ける理由

2018年4月5日 11:00 LINE NEWS編集部

1月29日午前、東京駅八重洲口。
澄んだ冬の日差しに、まぶしそうに目を細めながら、小柄な男は待ち合わせの場所にやってきた。

「よろしくお願いします」。世界3階級制覇の元王者、八重樫東は深々と頭を下げると、身体を小さく揺すって、リュックサックを背負いなおした。

昼が近かった。最初のインタビューは、食事をしながらということになった。「まだ試合まで時間もあるので、何でも大丈夫です」。そう言って、取材班が選んだ親子丼の店ののれんをくぐる。

昨年5月。フィリピンのミラン・メリンドに1ラウンドTKOで敗れ、ライトフライ級のタイトルを失った。

「これまでのダメージの蓄積じゃないかという言われ方もしました。年齢的な衰えという意見もあった。でも、僕はそんなことないと思っていました。そう証明するには、やるしかない」

皆と同じように、八重樫は親子丼を注文する。ごはんの量を聞かれると、いったんは「普通で」と答えた。しかし引き返そうとする店員の背中を追い、こっそりと伝える。

「ごめんなさい。本当に少なめでお願いいたします」。

多く食べることに対する後ろめたさを感じさせないように―。同席するものへの配慮が、習慣になっているのだろう。

3月26日に、10カ月ぶりの復帰戦に臨むことが、すでに決まっていた。2階級上げて、スーパーフライ級で王座を目指す。日本人初の4階級制覇へ。新しいチャレンジが始まろうとしていた。

「反復練習しかない」

 
2月。八重樫は大阪・豊中のトレーニングジムで、同じ大橋ボクシングジムに所属する清水聡とともにミニキャンプを張った。

日本ハムの西川遥輝、中田翔らプロ野球選手も多数指導する秀島正芳トレーナーからは「年齢に逆行してみませんか」と言われた。

「アンチエイジング、という言葉がすごく響きました。誰もが加齢とともに、イメージ通りに身体は動かなくなる。でも、関節の可動域を広げなおすことで、再び思い通りに動くようにすることはできる、と。衰えを止めるんじゃなく、若い頃の動きを取り戻す。そのための理論を、まず聞かせてもらいました」
 

 
実は直前にも、八重樫は同じような話を聞く機会があった。

「元巨人の鈴木尚広さんと対談した際に『腕は肩から先を使うんじゃなく、背骨から使う』というお話を聞かせていただきました。胸椎なども連動させれば、その分、腕の可動域が広がる形になる。それができたら、パンチも変わってくるんじゃないかと」

もともと「競技は違っても、身体の動かし方の基本は同じ」と考えてもいた。他競技のノウハウも取り入れたこの理論なら、限界説を払いのけられるかもしれないと思った。

「午前中に2時間、午後も2時間。本当にきつかったです。でもそれ以上に、可能性を信じてみたかった。秀島さんは最初のミーティングこそ理論的でしたけど、トレーニングが始まったら『身体の使い方を覚えるなら反復練習しかない。質だけじゃダメ。量もこなしてこそのアンチエイジング』と言い切っていました」

それこそが、きれいごとではない現実のように思えた。

「ものすごいトレーニング強度でやりましたけど、それでも上積みができたという実感なんて、実際にはほんの少しです。でもなぜやるかといったら、トレーナーを信じているから。勝てば皆が正しかったと証明されますから」

「感情を揺さぶるような試合がしたい」

 
人は八重樫を「激闘王」と呼ぶ。

スピード、技術も持ち合わせているが、真骨頂は打ち合い。致命的なパンチを受けても、下がらない。前に出て、こん身の一撃を当て返すことで、戦況をひっくり返す。

10回TKO勝ちで初めて世界タイトルを奪取した2011年のポンサワン・ポープラムック戦は、世界中のメディア、記者から「年間最高試合」「最も劇的な試合」に選出された。

常に最強の相手との過酷な試合を選ぶこともある。史上初の日本人同士の統一世界戦となった2012年の井岡一翔戦。のちに4階級制覇を達成するローマン・ゴンサレスとのフライ級防衛戦。敗れてなお、見るものの胸を打ち続けた。

「負けてもいい試合なんてないですけど、世の中には分が悪かろうが、やらなければいけない勝負というものがあると思っています。そういう時も、最初からさじを投げるんじゃなく、悪あがきをするのが自分の戦い方です」

ルックスでも、プロモーションでもない。ボクサーとしての生きざまで、根強いファンを獲得してきた。

「ありがたいことに『アイツもああやって頑張っているから自分も』という声もいただきます。大橋会長も、あえて厳しい試合を組んでくださる。『すごい打ち合い』でもいいし、『痛そう』でもいい。どんな感情でもいいから、感情を揺さぶるような試合がしたい。それがボクシングへの恩返しだと思っています」

しかし、そんな激しい打ち合いが、八重樫の心身にダメージを蓄積させているという見方もある。昨年メリンドに敗れ、タイトルを失った際に「限界説」が巻き起こったのも、そうした理由からだった。

「心中を思うと、やるせない」

 
2月28日。キャンプを終えた八重樫は、世界戦に臨む大橋ジムの後輩、松本亮を応援するため、後楽園ホールを訪れていた。

開場前、1カ月後の復帰戦の舞台でもあるリングを客席から眺めながら、ポツリと言った。

「あれは、ダメですよね」

その直前、山中慎介とルイス・ネリの世界戦に向け、都内の会場で前日計量が行われていた。ネリは2.3キロの大幅超過。その場で王座を剥奪された。大事な試合が、汚された。

昨年8月に敗れた宿敵へのリベンジ。そのためだけに、山中は現役を続けていた。同い年の八重樫は、身につまされる思いで、誰もいない青コーナーをじっと見つめていた。

「僕らに残された時間は少ない。それは現実です。だからこそ、山中くんは他の団体や、上の階級を選ばず、ネリともう一度やることを選んだ。勝っても負けても最後のつもりで、あの舞台に上がろうとした。そんな心中を考えただけでも…やるせないですね」

毎日、生真面目に汗を流し続ける

 
翌日の世界戦。体重オーバーのネリと、きっちり制限を守った山中で、体調、パワーの差は歴然だった。序盤に重い一撃をもらってしまった山中は、そのダメージを引きずったまま敗れた。

試合後、山中は引退を表明した。不条理を目の当たりにしながら、それでも八重樫は時を同じくして、復帰戦へ向けた減量に入った。

毎日、生真面目に汗を流し続ける。

「何を食べようとか考える手間が減って楽なんです」。

そんなことを言いながら、蒸した野菜とささみを、味付けもせずに食べる。

午後9時。練習を終えると、大橋ジムから歩いて横浜駅に向かい、電車に乗る。その帰り道は繁華街。減量中のボクサーには、飲食店の看板がいっそうまぶしい。

「ここのラーメン、油がすごいんですよね。そういうの、無性に食べたくなることありませんか?」

冗談めかしながら、八重樫はマスクをする。減量中は免疫力がガクっと落ちる。人ごみに入る時には、必ず備えが必要になる。

「風邪なんか引いたら最後です。明日は長男の小学校の卒業式に行きますが、正直怖いですね(苦笑い)」

小さな背中は、あっという間に雑踏に消えていった。

「それでも自分は、勝負師でありたい」

 
3月15日。復帰戦まで2週間を切った。
八重樫は試合前、最後のスパーリングを行っていた。

足を使う。相手のふところに出たり、入ったりを繰り返しながら、的確にパンチを当てていく。見守る大橋会長が「全盛期の動きが戻ってきている」と満足げにつぶやく。

終盤、八重樫はもうひとつの顔をみせた。距離を詰め、打たれては打ち返す。

「途中までは、やるべきことを丁寧にやっていたんですけど、最後は『もう行っちゃえ』みたいな感じになってしまいました」

目の上を少し腫らしながら、激闘王は苦笑いする。

「突き詰めて考えるのは好きなんですけど、最後にものを言うのは気合いです。減量も、試合も。根っこは昭和のボクサーですからね。大学の先輩である内山高志さんもそうですし、山中くんも、自分も」

引退を決めたばかりの同世代2人の名前を挙げて、少しだけ寂しそうな表情を浮かべる。

「だから、山中くんの気持ちはわかる気がします。ネリとは2階級分くらい体重差がありましたけど、左を一発当てればひっくり返せると思っていたんじゃないですかね。勝負師は、いつだって可能性の方に懸けるものですから」

汗をぬぐい、決然と言う。

「フィーチャーされるべきは山中くんの気持ち。それが、汚された試合を尊いものにした。そういうふうに思いたいです。そして僕も、可能性の方に懸けたい。35歳で4階級制覇を目指すなんて、夢物語と言われても仕方ない。それでも自分は、勝負師でありたい」

「こういうやつなんですよ」

 
3月26日、フランス・ダムール・パルー戦。
八重樫は2回に3度のダウンを奪い、TKO勝利で復帰を飾った。

珍しく、きれいな顔のまま控室に戻ってきた激闘王だが、椅子に座るなり「いやー、ダメですね」とため息をついた。

「悔しい気持ちしかない。空間を支配するペースも、身体の切れとか動かし方も、まったくよくなかったです。これは相手のレベルの問題じゃなく、自分の感覚の問題。だから、映像を見るまでもなく、おそらくダメなんです」

翌日。八重樫はいつものように早朝6時に起床した。
前夜に試合があったばかりだ。夫人の彩さんは「どうしたの?」といぶかしがった。長男の圭太郎くんも「もう練習?いつももう少し休んでない?」と聞いてきた。

「起きちゃったから、走ってくるよ。お父ちゃんには、時間がないんだ」

大橋ジムにも行き、シャドーボクシングやミット打ちなども再開した。松本好二トレーナーが「こういうやつなんですよ」とあきれたように笑う。

「応援してくださる皆さんのため、ボクシング界のためというのもあります。でも根本は、自分のためです。試合が決まってからの2カ月は、久しぶりに物事に打ち込んでる感がありました。おれ、やっぱ生きているなというか。そういう気持ちだったんですよ」

「誰に何を言われようと、自分を疑っちゃいけない」

 
いつもの帰り道。はらはらと散る桜の花びらが、夜の明かりに照らされて美しかった。

「試合に向けてピリピリしながらも、一日一日を充実させていく。そういう生活が好き。それを再確認できたことは、復帰戦の収穫でした。欲も探究心も、まだまだある。減量ももっとやりようがあると思うし、身体の使い方も改善できる」

しばらく減量は必要ないが、飲食店には目もくれない。

「だからすぐに再始動したんですよ。張り詰めた生活を継続したい、探求し続けたいと思ったんで。それにもう時間も残されていない。体重を増やしちゃって、もう一度絞りなおすようなヒマは、35歳の自分にはないんです」

復帰戦当日には、山中が引退会見をした。
翌日には、内山が引退式に臨んだ。

「立て続けなのはたまたまでしょうけど、寂しいですね。でも、自分はまだ続けます。好きだから。それに自分の限界を見定めることもできていないんで」

「この業界、アタマのいい人ほど早くやめる。自分に見切りがつけられるから。僕は残念ながら、アタマのいいタイプじゃないようです」

そう言って笑う。自嘲のようには見えない。

「ボクシングって、全然センスない選手でも、自分には才能があると思って一生懸命やっているうちに、本当に世界王者になったりすることがあります。いい意味で自分を信じられる、自分の可能性を疑わない人。川嶋勝重という先輩がそうでした」

プロテストに2度失敗し、大橋会長から「向いていない」と言われながらも、後に世界王者になった先輩の背中が目に浮かぶ。

「自分は川嶋さんの影響を強く受けています。だから、この年齢になっても、なかなか賢くなれない(笑い)。でも、それでいいとも思っているので。誰に何を言われようと、自分を疑っちゃいけない。可能性を信じ続けなければならない。そう思います」

最後まで自分を信じ続け、勝負師であり続けた山中の分も。"昭和の男"八重樫は、リングに立ち続ける。可能性を追い続ける。

「2階級上げるといっても、単純に体重を増やせばいいというものではないです。まだスーパーフライ級で戦える身体にはなっていない。でも、だからこそ、挑戦する意義があると思うんです」

別れ際。こちらに手を振って、改札をくぐる。
黒いリュックサックの小さな背中は、この日はなぜか、遠くなっても雑踏に消えなかった。

力強い歩みが、見る者の目に焼きついた。


(取材・文 塩畑大輔、撮影 佐野美樹、編集 LINE NEWS編集部)

八重樫東(やえがし・あきら)選手

1983年2月25日、岩手県北上市生まれ。岩手県立黒沢尻工業高校、拓殖大学をへて、大橋ボクシングジムに入門。2006年にOPBF東洋太平洋ミニマム級王者。11年、WBA世界ミニマム級王者ポープラムックに10回TKO勝利し、世界王者に。13年にWBC世界フライ級王者、15年IBF世界ライトフライ級王者となり、世界3階級制覇を達成。プロ通算32試合26勝(14KO)6敗。

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