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「一番太いじん帯、そこが骨化していく」内田篤人が語った苦闘の2年

2017年10月26日 11:00 LINE NEWS編集部

9月26日午前11時、ベルリン市内。小さな森に抱かれた、ドイツ2部ウニオン・ベルリンの練習ピッチに、内田篤人が現れた。

足取りが軽くないのは、体調の問題ではない。練習器具を積んだ小さなワゴンを、若手選手と一緒に引っ張っていたからだ。

器具を所定の場所に置き、「やれやれ」といった様子で背伸びをする。身体がほぐれると、洋芝の濃い緑が美しく染めるピッチを、軽い足取りで走り出す。
 

右膝のケガから2年───

 
前夜のカイザースラウテルン戦では、出場機会がめぐってこなかった。ビッグクラブのシャルケから移籍してきた内田だが、この日はベンチ外メンバーらとともに、調整をすることになった。

それでも、屈託のない笑顔で、周囲の若手とやりとりをする。

「独特の言い回しとかあって、言ってること全部を理解できないこともあるんですけど、あまり気にしないようにしてます。もちろん、最初は気になりましたよ。『あいつこっち見て何か言ってるなぁ』とか。でもしばらくすると、たいしたことを言ってるわけじゃないって気づく。たいてい、オレに深くかかわる話をしているわけでもないんですよね」

そう言って、笑ってみせる。やがて、同僚たちと肩を並べて走り出す。ピンクのスパイクで、サクサクと芝生を踏みしめる。そのリズムに、かつての乱れはない。
 

 
リーグ戦前々節では、フル出場を果たしていた。右膝のケガから2年。内田篤人が帰ってきた。
 

交通事故でもこんな難しいことにならない───

 
「レア中のレアケース。交通事故でもこんなに難しいことにはならないくらい、特殊な症例だったんです」

内田はそう言って、右膝のケガと、2年間のリハビリ生活を振り返りだした。

「膝が固まっていく感覚がありました。膝蓋(しつがい)じん帯といって、人体で一番太いじん帯ですけど、そこが骨化していくんです」

「ストレスがかかり続けることで、こういうことが起きることがある。たいていは膝が痛くなって、動かせなくなることでストレスが減って、骨化の進行が止まります」

しかし、内田の場合、骨化の進行は続いた。なぜか。走ることをやめなかったからだ。
 

 
「14年のブラジルW杯もありました。直後には欧州チャンピオンズリーグもあった。だからムリをしました。膝が壊れているのは、自分が一番分かっていた。でも、続けていた。痛みがどんどん強くなって、自然とかばうから、右足がみるみる細くなった。曲げ伸ばしもできなくなって、最後は地面に足をついているだけだった。ほとんど動かせなかった」

14-15年シーズンの欧州チャンピオンズリーグ、決勝トーナメント1回戦。レアル・マドリードとの大一番の陰で、内田は決心した。ディ・マッテオ監督に初めて、万全のプレーが難しいと伝えた。痛いのは耐えてきた。だが、動かせないのではどうしようもなかった。
 

"戻れない"と思っちゃうことはあった───

 
15年6月、内田は膝にメスを入れた。

「半年で復帰するつもりで手術しました。ドイツのドクターだけは、ここにメスを入れて戻ってこれたやつはいねえ!と最後まで反対していました。すごいドクターなんですよ。彼の病院では、陸上のボルトと待合室であったこともあるし」
 

 
それでも、手術を受けると決断した。最速でピッチに戻るためだ。
しかし、リハビリは思うようには進まなかった。

「自分がイメージしていた、半年での復帰ペースに比べると遅いから『あと2カ月かな』と考え直すけど、そのペースにすらならない。『じゃ、あと3、4カ月かな』って思い直しても、またしばらく進まない。気づけば、とっくにできているでしょうという時期に、まったく何もできていなかった」

そもそも、膝の骨格が一般的な形と違うなど、リハビリ自体が難しいものでもあった。こちらの痛みが消えれば、あちらが痛む。
そして、痛みを抱えたままのトレーニングでは、筋力は戻りにくい。あまりに長引くリハビリに「内田はもう治らないらしい」という声まであがっていた。

「オレ自身も、戻れないと思っちゃうことはありました。だからいろいろ考えないようにしました。いつか治るんだろう、と気楽にかまえてないと、長いリハビリはできない。だんだんそれが分かってきました。だから、気は急くけど、あえて適度にさぼるように心がけました。定められた回数をわざと守らないようにしたり、とか」
 

 
さぼらなければと、自分に懸命に言い聞かせる。そんな中で救いになったのは「出会い」だった。
国立スポーツ科学センター(JISS)でのリハビリ中には、滞在が長引いた分だけ、多くのアスリートと知り合う機会があった。

「サッカー選手は恵まれていると感じました。待遇の面もそうだし、世間からの注目の部分もそう。それに比べて、普段から大変な思いをしている選手たちがケガをして、集まって一緒の部屋でリハビリをしているんですけど、みんな息の抜き方を知らない。だからキューっとなっちゃうんですよね」

このころ、サッカー協会のメディカルスタッフがJISSを訪れると「アツトさんがメシをごちそうしてくれた」とさまざまな競技のアスリートから報告されていた。内田は手を振って、照れたように振り返る。

「うまくいかなければ、また明日がんばろうと切り替えることも大事。自分でもそう感じていたので、みんなにもそういう話をしました。そのうち、仲間の中からリハビリが終わって施設を出て行く選手が出てくる。その時はサプライズで送別会をしました。泣くんですよね。そういうのはいいなぁと」
 

 
内田が言う「仲間」には、先日現役を引退したテニスの伊達公子もいた。
卓球の福原愛、石川佳純、水泳の入江陵介、バドミントンの垣岩令佳といった五輪のメダリストも揃う。
彼ら、彼女らとは今でも連絡を取り合う。

「おとといの試合の直前でしたけど、アイスホッケーの選手から連絡が来ました。実業団でプレーを続けるか、プロになるか、海外に出るかの三択で迷っていて、その相談ですね。そろそろ結婚もするんですよ、って切実にいうから、そんなの知らんよって笑ってやりましたけど。でも自分なりの考えは伝えさせてもらいました」

別れ際に涙を流す。今でも相談を持ちかけてくる。内田との出会いは、アスリートたちにとって貴重なものだった。
 

 
「でもね、オレの方こそ、ってところもありますよ。ケガのつらさ、苦しみを、みんなとシェアさせてもらったというか。みんなとのやりとりがなければ、一人きりでケガとまともに向き合いすぎて、自分が参ってしまったと思います」
 

自分の置かれた立場を客観的に───

 
このころ、内田は気晴らしのために、よくYouTubeの動画を見ていた。

「ゲームの攻略動画とか見ていました。すごいんですよ、有名なYouTuberの皆さんの動画って。それから、eSportsのアスリートの方たちのプレーもすごい。パリ五輪で正式競技になる可能性、あるんでしたっけ?」

「最初は自分でゲームをするのが好きだから見てました。でもいつの間にか、自分がやったことのないゲームの攻略動画とかも見るようになりました。動画自体が面白いんで、ね」

アスリートの中でも、特にネットの世界への感度は高いが、一方でこんなことも言う。

「ネットには本当にいろいろなジャンルの情報、コンテンツがある。見たいものが見られる。知りたいことを知れる。でも、自分の興味あるものしか見なくなるという側面もある。ちゃんと意識をしておかないと、いろいろな情報が頭に入ってこなくなる。それは怖いような気もする」

ふっと真顔になった。言葉を続ける。

「ネットの"見え方"って、自然と自分と同じ考え方にそまっていくところがあるじゃないですか。YouTubeとかも、関連動画に自分の好みのものしか並ばなくなるし。自分と反対側の意見に耳をかせなくなるのは、怖いですよね。客観的に見なくちゃいけないと思っているので。自分の置かれた立場を」
 

 

物議をかもした「代表引退説」───

 
客観的に、自分の置かれた立場を見ないといけない。3年前。物議をかもした「代表引退説」は、まさにそんな考え方から出たものだった。

14年のW杯直後、一部メディアで「内田が代表を引退する」と報道された。事実、サッカー協会にもそうした考えは伝えていた。 直後に手術を余儀なくされる膝痛の悪化もあったが、それ以上に「日本代表」という立場へのジレンマを抱えていた。

「代表としてやりきったから、というわけではなかった。むしろぜんぜんやりきれてなかったし。いろいろ考えだしたのは、負けて帰国した時でした。日本は他の国とは、サッカー選手の扱いが違うなと」

負けてなお、日本代表の選手たちの人気は高かった。ありがたいこと。そう思う一方で、フィーバーを客観的に見ている、もう1人の自分がいた。
 

 
「アイドル入っているというか、だいぶ人気が先行しているなと。それでふと、我に返ったというか。オレがドイツ人なら、ブラジル人なら、スペイン人なら、きっと代表にかすりもしないなと。海外には、もっとすごい選手がいっぱいいる。なのになんでオレたちの方が、華やかなところにいるのかなと」

そこを割り切れないまま、代表に合流するわけにはいかなかった。だから、いったん身を引こうと思った。その後、手術、リハビリを経験した。その間も、ずっと考えてきた。
時間は十分すぎるほどあった。4年に一度のチャンスに人生を懸ける、五輪競技のアスリートの姿も見てきた。整理はついた。

「ネイマールとか、ベイルとか、日本代表でW杯に出るからこそ対戦できる選手もいる。限りあるサッカー人生、出られる大会、選ばれる代表なら、そこは出るべきじゃないかと。膝的に、肉体的に、年齢的にチャンスがあるなら、トライしない理由はない」
 

オレの膝は、他の人とは違う───

 
リハビリ開始から半年以上がたっていた。
JISSを"卒業"した内田は、古巣鹿島を拠点にしたリハビリをスタートさせた。 鹿島の塙敬裕(はなわ・けいすけ)理学療法士にサポートを仰ぐためだった。

「彼と出会わなければ、リハビリはうまくいかなかったと思います。JISSにいるうちから、紹介されて話をする機会があったのですが、リハビリに対する考え方、意見が感覚的に合った」

塙氏の考えは、一般的に有効とされるリハビリ法をなぞるものではなかった。もともと違和感なく動いていた時の「位置」に、骨などの組織を戻す、というものだ。

「オレの膝って、他の人とは少しつくりが違うみたいなんです。骨の位置とか、バランスとか」

そう知っていた内田は、自分には一般的なリハビリよりも塙氏のアプローチが有効だと考えた。

「塙さんには最初から、特殊な症例、特殊なつくりの膝を治すから、はっきりいって現段階で正解はないと言われました。でも、治すならそういうスタンスしかないと思った。実際、やってみたら痛みも減るし、力も入りましたしね」
 

 

「内田にW杯は難しい」と思いますよね───

 
出口は見えてきた。
しかし、トンネルはさらに長く続いていた。

シャルケに戻ってからのリハビリでは、クラブ専属のトレーナーの方針で、患部へのアプローチが変わった。それで痛みがぶり返した時期もあった。16年12月。内田は欧州リーグのレッドブル・ザルツブルグ戦で、ついに公式戦に復帰した。しかし、その後は試合に出られず。丸2シーズン、リーグ戦の出場ゼロということになった。 雌伏の時は、2年になろうとしていた。

「みんなきっと『内田にW杯は難しい』と思いますよね。時間ないじゃんとか。膝やっちゃったからとか。今までよくやったよ、ってねぎらってくれちゃってる方もいるかも」

苦笑いしながらも、語気を強める。

「でも実際には、時間はある。経験から言えば、評価は1カ月あれば変わる。というか、1試合で変わります。流れとか、タイミング次第で十分ありうる。手のひら返しって思うこともあるけど、それが評価です。そのためには、まずは試合に出続けないと」

出場機会を求め、今季からはドイツ2部ウニオン・ベルリンに移籍。リーグ戦フル出場も果たした。
 

 
「膝の痛みはもうないです。少しの違和感で、ドーッと冷や汗が出るけど、しばらくすると、ああ大丈夫だと。たぶん、もう一回痛みが出たら、終わりだと思う。でもとにかく、今はぜんぜん大丈夫。サポーター巻いてるじゃんとか言われるけど、プレーがよくなるなら何重でも巻きますよ」

加入して間もないチームでは、まだ周囲と"あうんの呼吸"とはいかず、出場機会は限られている。それでも、内田は言う。

「マイナスな意見が多い状況から、バンバンバンと巻き返していった方が、格好良くないですか?内田はもうダメだとか、W杯までもう時間がないとかいう意見があった方がありがたいです。もしも他人だったら、なかなか厳しいと思うはず。でも当事者としては、いい『フリ』だと思っています」

そう言って、ニヤリと笑ってみせる。
 

 
「確かに2年間のブランクは長かった。でも、W杯とW杯の間に、きれいに2年間が収まった。ケガが治って、またW杯を目指せる。これってすごくラッキーなことじゃないですか?」
 

家族を持ったからには───

 
控え組との練習を終えた内田は、急いでシャワーを浴び、駐車場へと出てきた。

そこには夫人と、生後11カ月の長女が待っていた。内田は娘を抱き上げ、同僚たちがまだ着替えをしているロッカールームへと戻っていく。どうやら"お披露目"をしたいらしい。 しかし、数分と持たず、表に出てきた。娘が号泣している。

「泣き止まないわ」。半裸の屈強なドイツ男たちに囲まれ、驚いたのだろうか。必死にあやす内田の手から、夫人が娘を抱き上げる。ピタリと泣き止んだ。「やっぱりママか」。子煩悩な新米パパは、残念そうにこぼした。

「家族を持ったからには、無条件に競技を優先させていいとは思わないです。でもうちは幸い、奥さんがOKをしてくれている。好きにやっていいよ、と」

「海外に来たら、生活のこと、子どもの幼稚園や学校のことなんかで大変だと思う。本当に感謝しています。そういえば結婚してから、リーグ戦に出ているところを、試合会場ではまだ見せられていないんですよね」
 

 
ベルリンは日本より、はるかに冷え込みが早い。気温15度。澄んだ空気に、空の青さが映える。傾いた冬の日差しに目を細めながら、内田は乗用車のハンドルを握る手に、グッと力を込めた。

(取材・文) 塩畑大輔


※編集部追記
内田選手は16日の練習で左太ももを負傷。幸い軽傷でしたが、26日現在、別メニュー調整を行っています。そのため期待されていた11月のブラジル、ベルギーとの親善試合での日本代表復帰は見送りとなる見込みです。

しかし内田選手本人は、ケガをする以前から「今の段階ではまだ、他の代表選手と自分とでは状況が違う」「まずはウニオンで試合数を重ねること」と話していたこともあり、あせることなく前向きに調整しているということです。

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