埼玉スタジアム2002にいたファン・サポーターは、彼らが語る一言ひとことに耳を傾けながら、それぞれが彼らとの思い出を振り返っていたことだろう。
そこには年月という時間以上に強く、濃い絆と足跡があった。
2021年のホーム最終戦が行われた11月27日、今シーズンで浦和レッズを退団することが発表された3人の「漢」たちがスピーチを行った。
あふれそうになる涙を必死に堪えながら、マイクの前に立った槙野智章は言った。
「みなさん、僕が来たのは10年前、2012年にこのクラブに来ました。ホーム最終節、契約上、完全移籍という形になっていない状況ではありましたが、この素晴らしい雰囲気のなかで、残留すると発言して10年が経ちました。
ここで過ごした10年間、僕にとって素晴らしい、濃い時間がありました。これまでこのクラブを引っ張ってきた素晴らしい先輩方、素晴らしい指導者、たくさんの方のサポートとバトルのなかで、ここまで成長することができました」
チームを引っ張ってきたのは槙野自身も、である。
プレーはもちろんのこと、熱い行動と明るい振る舞いは、文字通りチームをけん引してきた。
「ただ、選手やスタッフの力だけでここまで来られたとは思っていません。今日お集まりの方々、そしてテレビを通して見てくださっている方々、浦和に関わるすべての方々のおかげで、今こうしてみなさんの前で話せると思っています。ありがとうございます」
その言葉に、彼の言動に応え、ときにハッパを掛け、ときに背中を押してきたファン・サポーターの存在を実感した。
同時に、彼が矢面に立つことで、チームが何度も助けられ、何度も救われてきたことを思い出していた。
自身の歩み同様、一歩一歩、確かな歩みを刻んできた宇賀神友弥は、埼玉スタジアムの芝生を踏みしめるようにゆっくりと歩くと、マイクの前に立った。
「今日、たくさんの人が埼玉スタジアムに足を運んでくれたと思いますが、僕がピッチを走る姿を見せることができず、本当に申し訳ありませんでした。最後まで自分の実力不足を嘆き、情けない男だなと、本当に後悔しています。
ただ、僕が浦和レッズの選手としてプレーした12年間、このピッチに立ち続けた、一度も手を抜くことなく闘い続けた姿というのは、みなさんの目に、心に、焼き付けていただけたんじゃないかなと思います」
最後の瞬間までピッチに立てなかった自分に目を向け、ファン・サポーターに詫びる言葉に、彼が練習場で、スタジアムで、見せてきたプレーと姿勢を感じた。
「プロサッカー選手となって12年間、そして浦和レッズのユニフォームを着てから18年間が経ちました。12歳のときに、初めて浦和レッズのユニフォームに袖を通した日、プロサッカー選手になれなくて、もう一度浦和レッズに帰ってきて、この埼玉スタジアムのピッチに立った日を、今でも昨日のことのように覚えています。
そして浦和レッズに恩返しするために帰ってきた。そのためには、僕はタイトルを獲ることがすべてだと思って帰ってきました。その僕の獲ったタイトルすべてが、この埼玉スタジアムのピッチです。優勝したときに、必ずこの、最高の浦和サポーターのみなさんが後押ししてくださいました。本当に感謝しています」
槙野と同じく、2016年のYBCルヴァンカップ、2017年のAFCチャンピオンズリーグ、2018年の天皇杯と3つの栄光をこのピッチで味わった。天皇杯決勝で決めた豪快なボレーシュートよりも、思い起こされたのは、毎年のようにポジション争いに挑み、もがきながらも前に進み続ける背番号3の姿だった。
彼らの前には、トーマス デンもファン・サポーターに向けてメッセージを送った。
「まずは今シーズン、ありがとうございます。そして、すごくウェルカムな形で僕の面倒を見てくれて、ありがとうございます。
浦和レッズのファンは、理由なしでベストなサポーターだと思っています。僕を浦和ファミリーの一員として受け止めてくれて、(僕は)ベストを尽くそうとしました。そして難しい時期でもみなさんは僕をサポートしてくれました」
在籍期間は2年間だったかもしれないが、挑戦し続ける積極的なプレーと常にチームのためを考えての行動は、まさに浦和の「漢」だった。
今シーズン、自身の出場機会が得られないなか、敗戦に落ち込む鈴木彩艶の肩を抱き、鼓舞する姿にはフォアザチームを感じた。
「今シーズンはケガのせいでピッチに立てませんでした。スタッフ、選手たち、みなさんが、僕に手を差し伸べてくれました。みなさんの近い将来の成功を願っています」
未来へのメッセージは、槙野も残している。
「ここでサポーターのみなさんにお願いがあります。このコロナ禍で、昨年と今年、声が出せない状況のなかでも、たくさん僕たちの後押しをしてくださいました。僕の後ろにいる選手たち、とくに若い選手たちは、みなさんの『We are REDS!』コールや『歌え浦和を愛するなら』など、たくさんの歌や後押しをまだ見ていません。
来シーズン、後ろにいる選手たちが苦しい状況のときにぜひ、熱い後押し、よろしくお願いします。そして、僕が大好きな、勝ったあとに歌う『We are Diamonds』。西川(周作)選手を中心に、来シーズンも引き続きやってください、僕はテレビで、みなさんの表情、スタジアムの雰囲気を見て、遠くで歌います」
槙野はこうスピーチを締めくくった。
「必ずこのスタジアムに、みなさんの前に、どんな形になるかは分かりませんが、戻ってきたいと思います」
宇賀神も未来を語った。
「僕の次の夢は、浦和レッズのゼネラルマネージャーになることなので、必ず一回りも二回りも成長して、この浦和レッズに帰ってくることを約束します」
その前に、宇賀神が話してくれた言葉がある。
「僕にとって浦和レッズは家族です。埼玉スタジアムは僕の家です」
彼らにとって、間違いなくここはホームだった。そして家族は旅立ち、それぞれの道を歩むことになる。ただ、それぞれが家で過ごした時間や思い出、絆が消えるわけではない。
彼らは記録と記憶に残る「浦和の漢」たちだった。
また会える日まで、彼らも、浦和レッズも、前へと進み、成長し続けていく。その先には、再びともに歩く未来が待っているかもしれない。
(取材・文/原田大輔)
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