2020年1月28日、浦和レッズに新しい仲間が加わった。U-23オーストラリア代表のキャプテンを務める“トミー”ことトーマス デンだ。南スーダンの難民の子どもとしてケニアのナイロビで生まれた“トミー”はいかにしてプロ選手になったのか。その半生を紹介する。
ルーツは南スーダン共和国
両親は南スーダンの人間で、僕はケニアのナイロビで生まれました。転機は6歳のとき。それまで苦労していたわけではないですが、もっとチャンスを広げようと、家族でオーストラリアのアデレードに移住することになったのです。
僕は小さかったので特に不安を感じることはなく、むしろ新しい生活に興奮していた覚えがあります。ただ、寂しかったのは、医師だった父が仕事の都合でナイロビに残らなくてはならなかったこと。その父のサポートを得て、僕と母、3人の兄、姉は海を渡りました。
アデレードには南スーダンのコニュミティがあったので、新しい生活に順応することに難しさは感じませんでした。僕はこの街で初めてサッカークラブに入りました。ナイロビでもサッカーをしていたんですけど、道端でやるストリートサッカーだったんです。だから、アデレードでクラブチームで、本格的にサッカーを始めました。
メルボルンでの転機
メルボルンに引っ越したのは、14歳のとき。アデレードよりも仕事のチャンスが広がるという母と姉の判断でした。僕は地元のクラブチームに加入したんですけど、しばらくしてAリーグの強豪、メルボルン・ビクトリーのユースに入ることができました。
ユース時代にはトップの練習に参加する機会もあったので、プロになれるんじゃないかという期待を膨らませていました。そして1年後、願いどおり、メルボルン・ビクトリーとプロ契約を結ぶことができたのです。このとき、僕は18歳でした。
プロ1年目は13試合に出場。翌シーズンは、期限付き移籍でオランダのPSVに加入しました。最初の半年はサッカーと生活に慣れるのに精一杯。僕はセカンドチームに所属していたんですけど、トップチームからセカンドチームに落ちてくる選手もいて、なかなか出場機会を得られませんでした。
ただ、セカンドチームの監督は、あの(ルート)ファン・ニステルローイ! チームメイトには今、トッテナムに所属するステーフェン・ベルフワインがいました。それに、テレビで見ていたトップチームの選手とも交流があって、夢のような環境でしたね。
もっと試合に出て成長したかったので、1年でメルボルン・ビクトリーに戻ることにしました。その後、3シーズンで約60試合に出場し、復帰1年目にはリーグ優勝を経験。翌年にはAFCチャンピオンズリーグにも出場しました。
豪州代表、そして日本へ
さらに19歳だった2018年8月には、オーストラリア代表にも選出されました。すごく嬉しくて、家族や友人たちにすぐに報告しました。
さらに喜びを倍増させたのが、幼馴染みのアウェル・メイビルも一緒に選ばれたこと。ともに南スーダンにルーツを持ち、アデレードで育ち、同じ学校に通った友人と一緒に代表デビューを果たせたのは、忘れられない出来事です。
浦和レッズからオファーが届いたときは驚きましたが、移籍をためらう気持ちは一切ありませんでした。メルボルン・ビクトリーには長く所属したので、そろそろ次のチャレンジをするべきだと思っていたからです。それに、浦和は日本屈指のビッグクラブですし、かつて所属したアンドリュー・ナバウトにも話を聞いたので、断るという選択肢はまったくなかったですね。
浦和レッズの選手として
YBCルヴァンカップのベガルタ仙台戦ではスタンドから観戦しましたが、浦和のファン・サポーターは聞いていたとおり激しく、ものすごいパワーを感じました。早く皆さんの前でプレーしたい、浦和の勝利に貢献したいという思いが強まりました。
そして、予定通り開催されるなら、東京オリンピックのピッチにも立ちたい。この大会は自分のキャリアのハイライトになるのではないか、と思っています。
今はこういう状況なので、皆さんとなかなか交流できませんが、浦和の勝利のために頑張ります。
ぜひ応援よろしくお願いします。
(取材/文・飯尾篤史)
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