「あっ」
菅大輝(札幌)が放った左クロスが野上結貴の右足に当たったその時、思わず声が出てしまった。
ボールは猛スピードで広島ゴールへ。やられた。が、えっ、まさか。
自身のわずか2m前でコースが変わったそのボールを、林卓人の左手が弾き出した。
ホームチーム・サポーターの悔しい溜息が、札幌ドームを覆う。73分に見せた林のビッグセーブは、2-0で広島が勝利した対札幌戦(9月26日)の白眉だった。
「あの時は何も考えていなくて、勝手に身体が動いてくれました」
試合後の彼の言葉に、思わず「ブルース・リーの名台詞、『考えるな、感じろ』みたいだね」と聞いてみた。
大迫敬介・川浪吾郎と共にトレーニングに力を注ぐ林卓人。広島のGKチームの伝統であるハードトレーニングは今季も健在(9月21日撮影)
林は苦笑いしながら「何かが起きるかもという準備も含め、高い集中力を保てているから、自然に身体が反応してくれた」と答えた。
佐々木翔が「タクトさん、さすがです」と絶賛した林はこの試合でJ1通算99試合目の完封(歴代5位)を成し遂げ、通算平均失点も1.10(歴代7位)。そして「Jリーグ通算500試合出場」(史上37人目)という偉業も達成した。
その1試合目が2002年11月30日の札幌ドーム。その2年後のオフには札幌に移籍し、71試合に出場。不思議な縁で、林と札幌は結ばれている。
この日の試合前、札幌サポーターはかつて自分たちの守護神だった林に、あたたかい拍手を贈った。
17歳も年の離れた大迫敬介と共に、楽しそうに練習する林卓人。「ケイスケはおそらく、広島だけでなく日本を背負っていく選手」とその才能を絶賛している(9月21日撮影)
「札幌に在籍していたのは随分前なのに、拍手してくださるなんて。道民のみなさんの暖かさを感じました」
Jリーグ初出場と500試合出場の両方を、札幌ドームで観戦したサポーターもいるだろう。その方々はきっと男の成長に目を細め、拍手を贈ってくれたに違いない。そしてあの73分のプレーを見て、こう確信したはずだ。
「林卓人は39歳の今も、成長を続ける男なんだな」と。
林卓人(はやし・たくと)
1982年8月9日生まれ。大阪府出身。2001年、金光大阪高から広島に加入。2002年の最終節・対札幌戦の74分、当時の絶対的守護神である下田崇(現日本代表コーチ)が右目眼窩底骨折の重傷を負った後を受けて、J初出場。この試合、広島はJ1残留をかけていたこともあり、林は「逃げ出したくなるような気持ちだった」と後に語っている(結果は4-5で敗戦しJ2降格)。2004年、アテネ五輪アジア最終予選で6試合1失点と活躍し、日本をアテネ五輪に導いた。2005年から札幌、2007年から仙台でプレーし、2014年に広島復帰。2015年、平均失点0.88を記録して広島の優勝に貢献した。
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