塩谷司の帰還に練習場が熱くなった10月12日、筆者は1人の男に声をかけた。
「ジュニオール、ハッピー・バースデー!」
雨に濡れたジュニオール・サントスの表情が、ぱっと明るくなった。
「ありがとう」
「何歳になったの?」
「22歳だよ」
報道陣、爆笑。彼が27歳になったことは、記者たちみんなが知っていた。
実際、ジュニオール・サントスはチームメイトだけでなく、記者たちにも愛されている。
どんな質問にもリスペクトをもって答え、取材が終わると手を合わせて「ありがとうね」と日本語で言う。
何より、彼は努力家だ。その頑張りは6月23日配信の記事にも書いているが、今も居残り練習は彼の習慣。先発から外されても腐ることなく、トレーニングを続ける。こんな男が愛されないはずもない。
トレーニングでは常に城福浩監督の細かな指示を受ける。ポジションどり、動き方、緩急のリズム。少年時代に体系だった指導をほとんど受けてこなかった野生児=ジュニオール・サントスに戦術的なベースを教え込む。彼の持つ攻撃力をより活かすために。(8月7日撮影)
その彼がずっと気にしていたのは、コロナ禍のために来日できず、ブラジルに残していた家族の存在である。上は6歳、下はまだ10ヶ月。手のかかる年頃の子供4人の育児に奮闘する妻を近くで支えてやれないもどかしさ。父や叔母の死去など辛いことも重なり、ストレスは増幅した。
監督の指示を聞くばかりでなく、自分が感じたこと、思ったこともジュニオール・サントスは主張。指揮官とストライカーの間にコミュニケーションはとれている(8月7日撮影)
だが9月22日のC大阪戦後、ついにジュニオール・サントスは家族と再会を果たした。元気な妻と子供たちの姿に、彼は心から安堵した。
「誕生日も家族に祝ってもらったし、みんなが側にいてくれる幸せを感じているよ。妻もね、広島の暮らしを気に入ってくれているんだ」
ベンチスタートが続き、ゴールも8月28日対大分戦以来、遠ざかっている。しかし家族の愛が、ジュニオール・サントスを前に向かせる。
「どんな状況でも、続けていればきっといいことが巡ってくる。僕はそう信じて、生きてきたんだ」
27歳になったばかりの好漢、家族の力を借りて、さらに努力を重ねる。
ジュニオール・サントス(José Antonio dos Santos Júnior)
1994年10月11日生まれ。ブラジル出身。幼い頃に母と死別し、兄弟たちとも別れ、極貧の中で育った。サッカーを始めてもスパイクが買えず、拾ったものを使っていた。17歳でサッカーをやめ、土木や建設現場で働く。この経験が彼の身体を強く鍛えあげ、22歳から再び始めたサッカーにおおいに役立った。草サッカーの助っ人からスカウトされ、2年後の2019年にはブラジル1部のフォルタレーザでプレー。この年、柏に加入。2020年に横浜FM、今季から広島でプレー。
【中野和也の「熱闘サンフレッチェ日誌)】