歴史的な屈辱だった。
2021年6月16日、J1から数えると5部リーグ相当のチーム(おこしやす京都)に1-5。誇りすら見失いかねない天皇杯での惨敗に、サポーターは対戦相手のゴールに拍手を贈った。
翌日、エディオンスタジアム広島。試合に出た選手たちがリカバリートレーニングに取り組む中、違う行動に出た男がいた。
ジュニオール・サントスだ。
天皇杯で30分間出場したストライカーは、「リカバリー」の指示に首を振る。
「僕は、練習したい」
強い意志を示し、試合に出ていない選手たちと共に強度の高い練習に取り組んだ。
全体練習後もずっとランニングを重ね、腹筋運動をしながらヘディングのトレーニング。ほとんどの選手が引き上げた後も、彼はずっと身体を動かしていた。
「天皇杯での敗戦はあってはならない。悔しく、そして恥ずかしい」
翌18日の練習後、ジュニオール・サントスは言葉を吐き出した。
「僕らのファミリーたちがなぜ相手に拍手をしたのか。その想いを自分なりに受け取めたくて、昨日はずっとトレーニングしたいと思っていた」
もともと彼は、ブラジル人としては突出して練習量が多い。
6月13日のトレーニングでは、スルーパスの受け方について城福浩監督から個人レッスン。指揮官の熱のこもった指導に何度もうなずき、教えを自分のモノにしようと走り続ける。
「改善点を監督から教えてもらった。その成果を僕は、見せなければならない」
チームとしての再起をかけた19日の対柏戦、ジュニオール・サントスは開始早々に豪快なシュートを放ち、ポスト直撃。得点こそとれなかったが彼らしいドリブルとシュート、成長したポストプレーを見せ、勝利に貢献した。
「自分のストロングと周りを使う時の切り替えができれば、何があったんだと感じるくらいアジャストしてくる」
城福監督の期待が現実になる日も近い。努力家のジュニオール・サントスであれば、必ず。
ホセ・アントニオ・ドス・サントス・ジュニオール
1994年10月11日生まれ、ブラジル出身。母を早々に亡くし生活も貧困を極めた中、少年時代はスパイクも履けずに裸足でボールを蹴っていた。本格的なサッカーの教育もほとんど受けることもできないまま、17歳でボールを蹴ることを一度はやめた。だが22歳の時(2017年)、草サッカーでのプレーが認められ、ブラジル4部のクラブとセミプロ契約。わずか2年で1部のクラブで活躍し、その年の夏に柏と契約。今年、広島に完全移籍。
【中野和也の「熱闘サンフレッチェ日誌」】