0.05秒の差でメダルを逃した瀬戸大也 /(C)JMPA
何かと波紋を呼んできた今回の東京五輪。なかでも注目を集めた人物の1人が、瀬戸大也選手(27)だった。2020年の不倫騒動で批判が殺到し、活動休止処分となった瀬戸選手。そこから再起を図ったが、五輪の舞台でも依然として厳しい批判にさらされ続けた。
いったい、なぜ彼はこれほど叩かれることになったのか。恋愛ジャーナリストのおおしまりえさんに話を聞いた――。
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東京五輪・競泳日本代表の瀬戸大也選手の戦いが終わりを迎えました。
瀬戸さんといえば“もっとも金メダルに近い男”と称されていましたが、そんななかで決まった東京五輪の延期。そして2020年に不倫が報じられると年内活動停止処分に加え、所属やシンボルアスリートを解除されるなどの対応が話題になりました。
すべて自分が撒いた種とはいえ、苦しいなかで戦いぬいた瀬戸さん。そして、寄り添い続けることを決めた妻・馬淵優佳さん(26)の心中は計り知れません。
大会中は不本意な(?)予選敗退や0.05秒という悔しい差でメダル獲得を逃すなど、逆に“持ってる”ドラマ展開に。そして最後は“戦友”萩野公介選手(26)の涙に助けられながら、爽やかで暖かな2ショットとともに幕を閉じました。
不倫は良くない。とはいえ妻が許し、そして再起へ向かうことを決めた彼への世間の風当たりは一貫して厳しいものとなりました。というか、厳しすぎるほどに強かった……。
人は過ちを犯すものですが、“末代まで呪う”かのような熱量の批判はいったいなぜ生み出されてしまったのか。彼の対応の何がいけなかったのか。振り返ってみたいと思います。
■本人の反省の弁よりも目立ちすぎた妻の声
どんなに強いアスリートでも、良い結果を出し続けるのは無理なことです。しかし彼に対しては今大会中、なぜか「結果で見返せ」という声が多数集まっていました。
そもそも選手に限らず、有名人の不祥事に対して反省を求める声が出るのは近年ではある程度仕方ないこと。だとしてもスポーツ選手に対して「結果をもってして反省しろ」「結果で見返せ」といった価値観を望むのは、逆にどうなのでしょう。
結果として、彼はメダルという結果は残せなかったわけです。しかしだからといって不倫やその後の対応について反省していなかったのかといえば、まったくそんなことはないでしょう。
それは普通に考えればわかること。なのになぜ彼は終始、こんなにも炎上し続けてしまったのでしょうか。それには悲しいかな、“不倫された側”である妻の存在が関係しているように思います。
妻は夫の不倫発覚以降、積極的にメディア活動をしていました。しかしこれが多くの人には、“出しゃばり”といった批判的な印象になってしまったようです。
そもそも妻が頑張るのは性格的な部分は別としても、家計を支えるためという目的があるのは明白です。それでもなお批判する人が跡を絶たないのは、なぜなのか。1つは、瀬戸さんと妻の対応差にもあったのではと思います。
不倫発覚から程なくして、瀬戸さんはマネジメント会社経由で謝罪コメントを発表しました。
《処分中に家族、水泳連盟、JOC その他沢山の方々とお話をさせていただき自分を振り返ることで、いかに自分が恵まれた環境にいて身勝手な考えをしていたかを痛感しました。このような状況でも支えてくれた家族、そして温かく声をかけてくださる方々に感謝申し上げます》(2021年1月11日付・一部抜粋)
瀬戸さんが謝罪をしたのは発覚当時の直筆謝罪文や、こうしたコメントのみ。いっぽうの妻は瀬戸さんの不倫発覚後からメディアでのインタビューに答え、テレビ出演などでも多くを語ることとなりました。
この対応が、結果として「当人が言わずに、妻がそれ以上を語る」という図式を作り上げてしまいました。
こうなると瀬戸さんが真摯に反省しているのかどうか、外野からは分からなくなってしまうことに。さらに妻は、それを“利用した”と見えてしまいます。このアンバランスさに、結果として反感が生まれやすくなったのかもしれません。
個人的には妻がメディアに出たり頑張ったりするのは今の夫を支えるためであり、求められるのも「アスリートの妻」「瀬戸大也の妻」だからというのを理解しているからこその振る舞いに見えます。
しかしいっぽうの瀬戸さんは多くを語らず、活動を継続。語らないからこそ彼のポジティブで軽やかな性格が「反省していない」「舐めている」といった印象なり、明るくて快活なイメージが一転してしまったのかもしれません。
■アスリートはみんなのお手本なのか? 無茶な日本の倫理観
今回の瀬戸さんの炎上には、「アスリートとしてのあり方」を問うような批判も多数ありました。
日本は近年、特にアスリートに対して“人としての正しさや倫理観”を強く求める傾向があるように思います。いったいなぜ、ここまで強く正しい人間性を求められるようになったのでしょうか。
もしかしたら最近の日本ではアスリートに対して、「戦う人=現代の武士」のような存在としてとらえてしまっているからかもしれません。
だから正々堂々としたスポーツマンシップ以上に忠義や礼節、誠実といった武士道にも通じるキーワードを求めてしまっているのでは……。そんなふうにも感じさせられました。
波乱の東京五輪も、あっという間に後半戦へと突入しました。開催直前からどんどん日本の良くない体質や対応が露呈している本大会。彼の炎上も、そういう意味では日本人の良くない空気感が如実に出た結果の1つといえるのかもしれません。
対応や結果がどうであれ、まずは「全力の戦い、お疲れ様でした。感動をありがとう」と言える日本人でありたいです。
(文:おおしまりえ)